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□ 円堂くんと風丸くん □

シアワセノ アオイトリ 救済編


 久遠監督の後任として雷門サッカー部を率いることになった円堂は、現在中学サッカー界に蔓延るシステムをどう打開するか、子ども達を指導するだけでなく日々考え続けていた。その為、協力を仰げる知人友人との連絡を密に取り始めたことによって、円堂の周りには常に幾人かの人間がいる状況が当たり前になりつつあった。

「……忙しそうだな、円堂」

 風丸が夜遅く仕事から帰ってきても、円堂が先に帰ってきている事は少ない。たまに在宅しているなと思えば、あの頃の雷門イレブンのメンバーと何やら打ち合わせている事が多かった。

「おっ! 風丸!! 悪いな、邪魔してるぜ」

 隣県で中学の体育教師をしている染岡が、見知った仲での気軽な挨拶をする。

「えっと……」
「ん? どうした? 俺だ、俺! 染岡だろうがよっっ!」

 あの頃と殆ど変りない染岡の姿を訝っていた風丸に、そう自分の名前をアピールする。

「あ、いや。そうじゃなくて、どうしてお前がここにいるのかと思って……」
「ああ。円堂に呼び出されたんだ。いろいろ聞きたいことがあるんだとさ」
「円堂に?」

 風丸の透き通って底が無いような琥珀色の瞳の奥で、なにかがチカリと光った。

「キャプテン、頼まれていたデータです」

 と、目金がプリントされたデータとコピーされたUSBとを差し出す。それを受け取り、バサバサと資料を広げる円堂を横目で見ながら、小さくため息をつきつつ風丸はキッチンに入っていった。

「円堂、二人も一緒に晩飯食うだろ?」
「風丸、お前も仕事帰りで疲れているんじゃないか? 今日は支度は良いから、外で食べよう。それよりお前もここに来て、一緒に考えてくれ」
「考えるって、何を?」

 その答えに円堂と横にいた二人も一瞬、お互い顔を見合わせる。

「何って、今の中学サッカーをどう変えるかって事をですよ」

 目金が今更なんでそんな事を確認しないといけないのかと、少し首を傾げながら説明する。

「……ああ、そうか。そうだよな。その為に、円堂は日本に帰ってきたんだから」

 小さく、影薄く、風丸が呟く。

「風丸?」

 いつもと違う様子の風丸に、円堂が心配して声をかける。

「なんだか、いつもの風丸じゃないみたいだな。具合でも悪いのか?」
「いや、そんな……、あ、でも……」

 小さく否定しかけて、それからまた、言葉を続けた。

「…ん、少し体が怠いようだ。悪いが、休ませてもらってもいいか?」
「勿論だ! ゆっくり休めよ」

 その声に、小鳥が首を傾げるのにも似た仕草で返事の代わりにすると、そのまま寝室へと消えた。

「……なんだか、らしくないですね。あの頃の真面目で責任感の強い風丸くんなら、こちらが声をかけなくても、自分から言ってきそうな感じなものですが」

 閉まった寝室の扉を見ながら、目金が眼鏡の縁に手を当てながら零す。

「まぁ、具合が悪いんじゃ仕方ないさ。円堂、お前は本っ当に体力オバケなんだから、少しは風丸の体力も考えろよ?」
「体力を考える? どーゆー意味だよ、それ? 健康管理ならバッチリだぞ、俺達」

 染岡は頭をボリボリ掻きながら、更に言葉を続けた。

「まぁ、なんだ。ヤり過ぎるなって事だ。どうせ、家事全般は風丸がやってるんだろう? お前が一汗かいて気持ちよく朝寝している時でも、あいつは起きだして家事をやってるんだからな」

 染岡から指摘された内容に、思わず円堂は顔を赤くした。
 あー、こほっと目金が小さく咳払いする。

「染岡くん、我々はキャプテンの新婚話を聞きに来た訳じゃありませんよ? 今、分かっている範囲での状況を確認しないとですね」
「おお、そうだな! と、言っても俺の勤務校は公立なもんで、目立ったフィフスセクターの管理の影響は受けてないな」
「染岡くんも、今は中学校のサッカー部の顧問?」
「顧問兼監督。公立だからな、別口で監督を置けるような予算は最初からない」

 データを読み込んでいた円堂が、目金に確認を取る。

「このデータって、ほとんど私立校に関してなんだな?」
「そうです。サッカーでランク付けされて直接影響が出るのは、『人気」に左右される私立ですから」
「……う~ん、そうか」
「ん? あっ、でも公立も影響っていうか、引き抜きみたいな事はあるな」
「引き抜き?」
「チームとしてはそこまでの実力はなくても、たまに突出した実力の持ち主がいたりするんだ。でも、そんな生徒はいつの間にか、サッカーで強い私立校に転校していることがままある」

 その言葉に、管理サッカーの根深さを感じる。
 円堂たちが中学時代、あんなに心を燃やしたサッカーは一体どこへ行ってしまったのだろうか?

 寝室の扉越しに聞こえるそんな三人のやり取りを、風丸は薄い上掛けに包まりながら、聞こえないふりをしていた。
 あの夜から、二人だけで一緒に暮らしてゆけると思っていたのに、円堂の周りにはいつもたくさんの人が集まる。それは、無理もないと思う。自分だって、心から円堂に魅せられてここにいるのだから。

 だから、恐れる。

 いつか、自分と同じ『想い』で、円堂を見つめる存在が現れるのではないのかと。

( ……せっかく、『風丸』になれたんだ。円堂は、俺だけのものだ )

 風丸の胸の内に、今まで感じたことのない不安がどうしようもないほど、広がっていた。
 

   ■ ■ ■


 ペットなど置いたことのない鬼道の私室に、真新しい鳥かごが一つ置かれていた。
 
 中には薄く緑がかった柔らかな色味の青い羽の鳥が一羽、じっと蹲っている。この鳥は先日のゲリラ豪雨の夜に、鬼道邸の塀の側に落ちていたのを仕事から戻ってきた鬼道が見つけ、保護したものだった。

「今日は、少しは餌を食べたか?」

 帰宅するとすぐ、青い鳥の様子を見るのがここ最近の習慣になりつつある鬼道である。が、その様子を見て、鬼道はかすかに眉を顰める。飲み水用の小さなボトルは三分の一ほど量が減っていたが、鳥かごの中のエサ入れの量は朝見た時と少しも変わっていなかった。なぜかこの鳥は、餌を食べようとしない。何か内臓的な病気でもあるのかと、昼間に屋敷の使用人に頼んで動物病院にも連れて行かせたが、どこも異常はないとの事だった。飼育状態も生育状態も申し分なく、随分と可愛がられていたのだろうとは医者の診立てだ。

「この状態で食べないと言うのなら、精神的なものかもしれません。鳥と言えども、ショックな事があれば食欲も落ちます。人間同様に繊細な生き物なのですから」

 そう、使用人は医者の言葉を鬼道に伝えた。

「……水だけは飲むんだな。お前、そのままでは本当に栄養失調で死んでしまうぞ」

 普段、人前では見せない優しげな表情で鬼道は、その鳥の顔を覗き込む。透き通った琥珀色の瞳には、深い悲しみが絶望が溢れているような気がした。鳥の瞳が、こんなにも感情を色濃く表現するものだとは思わず、その深い色に引き込まれそうになる。
 ふと鬼道は、その眸の色をいつかどこかで見た事があると、思い出しかけていた。

 そう、確か、あれは ――――

( ……もう、10年前の事になるのか。風丸が円堂の側を離れることを決めたあの頃の、あいつの瞳の色に似ている気がする )

 あの時は、直ぐには気が付いてやれなかった。
 様子がおかしい事には薄々気づいていながら、あの瞳の色が何を物語っていたかなどは。

( でも、それも今では過ぎた話。あいつは、いや、あいつらは今、契りを結んで人生を共に歩み始めた )

 ふぅと、らしくもなく大きなため息をつく。
 一緒に側に在れた時間は短くて、すぐに道は離れてしまった。
 だけど、あの雷門での2年間の輝きは、今も鬼道にとっての宝物である。

「なぁ、豪炎寺。お前、いつも円堂に遅いって言われていたけど……、俺も遅かったみたいだ」

 ドイツに留学後、音信不通のもう一人の親友の面影に、そう言葉を零す。
 
「サッカーで、円堂の気持ちを最初に惹き付けたのは豪炎寺、そして円堂のいつも一番近くにいたのが風丸。俺は、どちらにしろ二番目以下だな」

 その呟きが聞こえたのか、鳥かごの中で青い鳥がばさっと翼を広げた。

「キ、キド……、キド…ウ」
「お前……、喋れるのか? なんで、俺の名前を……?」
「キドウ、キドウ」

 聞き間違いではない。確かに、この青い鳥は「キドウ」と喋っている。朝になっても囀ろうとしない鳥だけに、唖(おし)なのではないかと思っていた。
 その時になって、はっと気づく。そう言えば ――――

「お前、もしかして『カゼマル』か? 円堂がアメリカから連れて帰った来たとか聞いた ―――― 」

 それなら、と納得もする。
 円堂の帰国祝いと風丸と一緒になる事を決めた祝いの席で聞いた、青い鳥の話。
 口下手な円堂が、風丸に伝える言葉を練習するために可愛がっていたと聞いて、円堂らしいとみんなでからかいのタネにした ―――― 

「……円堂、あいつ……、俺の名前も教えていたんだな」

 ぽっと、胸の中が温かくなる。
 それがどれだけの意味を持っているのか、そんなことは関係なかった。
 それがまた、鬼道の思い違いであっても。

「今、確認してやる。もし、そうならすぐあいつの所に帰してやれるからな」

 そう言って、鬼道が携帯を手にした途端、鳥かごの中で『カゼマル』は、猛烈な勢いで暴れ始めた。羽を大きく広げ、かごの柵に当たるのも構わずにかごを揺らし続ける。青い羽が部屋に飛び散り、このままでは翼が折れてしまいそうだった。

「どうしたんだ!? カゼマル!! 落ち着け! 落ち着け!!」

 鬼道は携帯を近くのテーブルに置き、急いで鳥かごの側に駆け寄った。
 
「どうしたんだ、お前……。円堂の所に帰りたくないのか?」

 帰りたくない訳はない!!
 だが、この姿のままでは……

「キドウ、キドウ……」

 鳥の言語能力の限界に、『カゼマル』は絶望に近いものを感じていた。詳しい説明をしても、信じてもらえるかどうかのこの状況を、数少ない単語でしか伝えることが出来ない自分を。

「……医者が、ショックな事があったのではないかと言っていたな。円堂や風丸がお前を虐待したとも考えられないから、もしかして、あの二人の関係でか?」

 愛犬家だったか、愛猫家だったか忘れたが、ビジネスの話の合間に聞いた話だ。独身時代に可愛がっていたペットを連れて結婚すると、そのペットが結婚相手に焼きもちを妬いて困ると言う話だ。

「分かった。お前が落ち着くまでここに居ろ。ある意味、俺達は似た者同士かもしれん」

 そう鬼道は『カゼマル』に少し寂しげな、それでもそれを洒脱に言い切り、微笑んで見せた。


   ■ ■ ■


体が怠いと言った日から、風丸はスポーツジムのインストラクターを休んでいる。
 あの真面目で努力家の風丸にしては珍しいなと、円堂は思った。それでも、昔はその真面目で努力家なところが、風丸自身を追い込んでいたところもあったので、これはこれで大人になって余裕を持つ事が出来たのだと考えることにした。

「じゃ、俺そろそろ時間だから」

 朝昼兼用の食事を取り、円堂は12時前に家を出ようとした。

「あ、今日は俺も行く」

 珍しく風丸が、雷門中に顔を出すという。

「大丈夫か? あまり体調が良くないんだろ?」
「んー、仕事だと具合が悪いのを我慢して人前に立てば、もし、何かあった時に周りに迷惑をかけてしまうからな。後輩の様子を見るくらいなら、大丈夫さ。きつければいつでも休めるし、お前も傍にいる」
「まぁ、そうだな。じゃ、あいつ等の走り込みに付き合ってもらえるか? 走る時の姿勢とか、癖とか直して欲しいんだ」

 そう円堂に頼まれて、風丸は小首を傾げて小さく笑った。
 中学時代のように、二人して雷門中への道を歩く。商店街を通り抜け、鉄塔広場の下を通り、河川敷のサッカーコートを見ながら。

「これは……」
「最近は風丸も、あまり来てなかったんだろう? 俺も最初来た時は、ここまで変わったのかとびっくりしたもんさ」

 二人はサッカー棟の前で、そんな会話を交わしていた。時間はまだ、午後の授業を残しているからか、この辺りに生徒の姿はない。

「監督室、覗いてみるか?」

 円堂がにっと笑い親指を立てて、一つのドアを指し示した。

「へへっ。ちょっと立派過ぎて、俺には勿体ないくらいなんだよなぁ。高性能なPCもあるんだけど、うまく使いこなせないって言うかさ」

 そんな事を言いながら監督室の扉を開けてみて、そこに見知った顔を二つ発見する。

「久しぶりだね、円堂くん」
「ご無沙汰してます、円堂さん、風丸さん」

 監督室の応接コーナーに居たのは、ジャパンメンバーだった基山ヒロトと緑川リュウジの二人。
 円堂の姿に、ぱっと明るい笑みを浮かべたヒロト。
 その様子に、風丸はざわりとしたものを感じた。
 円堂の影にいた風丸の姿を見つけ、ヒロトがにこやかに声をかける。

「今日は二人揃って出勤かい? 子どもたちの前では、あまり新婚さんぶりを見せつけない方がいいよ。なんせ、思春期だからね」
「ヒロト……」

 本能的に風丸は、ヒロトに『否』と言う感情を抱いた。
 風丸は記憶の襞をたどり、この基山ヒロトと言う人物が自分たちにどう関わっていたかを拾い出す。
 自然、目つきも険しくなっていたのだろう。困ったような顔をして、さらにヒロトが言葉を続けた。

「ごめん、ごめん。風丸くんがこの手の話題があまり好きじゃなかったことを失念していたよ。気を悪くしたら許してくれ」
「風丸?」

 ふっと揺らいだ、不穏な空気を察して円堂が風丸に声をかけた。

「……いや、構わない。それより、どうしてここに?」

 円堂がヒロトの前に座ったので、風丸もその隣に腰を下ろす。
 どこかぎこちないが、返事が返ってきたことで良しとして、ヒロトが話を続ける。

「円堂くんの監督ぶりを応援に、って。まぁ、本当は俺達で手伝えることがあれば、協力したいという申し出なんだ」
「話、聞いたよ。僕たちが現役を離れた数年で、そんなに中学サッカー界が変貌していたなんて、びっくりもいいところだよ!」

 ヒロトも緑川も、口々に自分たちの想いを言葉にする。

「ヒロトも緑川も、ありがとうな!」

 雷門の卒業生ではないにも関わらず、こうして大変な時には力を貸してくれる仲間がいることが、どれほど心強い事か。
 円堂は、思わず目の前にあったヒロトの手を握り締めていた。握り締められた瞬間、ヒロトの頬に上った朱を、風丸が見逃すはずもない。また、風丸が顰めた表情を、ヒロトも察知していた。

「……他人事とは思えないからね。大人の都合で捻じ曲げられたサッカーの犠牲者になるのは、俺達だけで十分だと思っている」
「どんな理由をつけても、楽しくないサッカーをやらなきゃいけないのって、サッカーが好きであればあるほど、相当ここに堪えるんだ。あの時は、人間やめた気持ちでやっていた」

 と、緑川が自分の胸を指さす。

「ああ。早くあの子達に、本当の楽しいサッカーを取り戻してやりたい!!」
「出来るよ、円堂くんなら。必要であれば、いつでも声をかけてくれ。瞳子姉さんはじめ、お日さま園の皆で、力になる用意は出来てるからさ」
「頼もしいな、ヒロトにそう言ってもらえると。その時には遠慮なく協力してもらうからな!!」

 そんな二人の会話に口を挟むことなく、風丸はじっと琥珀色の瞳で睨み付けるようにヒロトを見つめている。ヒロトはちらりと視線を風丸に向け、さりげなく立ち上がった。

「それじゃ、あまり長居してもお邪魔になるだけだから、俺達はこれで引き上げるね」
「そうか。今度は俺の家の方にも遊びに来てくれよ。歓迎するからさ!」

 にぱっとした笑顔は変わらないな、とヒロトは思う。
 その一方で、風丸は変わったと思う。
 
( ……昔の自分を見ているようだ。そう、円堂くんに執着していた頃のね )

「見送りは良いよ。さ、リュウジ。帰るよ」
「あ、うん。じゃ、またね」

 若干の慌ただしさを感じさせて、二人は帰って行った。
 監督室のドアを閉め、二人の足音が遠ざかって聞こえなくなる頃、風丸はいつもより低い声で円堂に訊ねた。

「なぁ、円堂」
「ん? なんだ、風丸」
「……こんな事は、良くあるのか?」
「こんな事って、誰かが俺を訪ねてくることか?」
「ああ……」

 ん~、と監督室の天井を見上げ、あれこれ考えていた円堂が、それがどうしたと言わんばかりの表情で返事をした。

「風丸、お前だって知っているだろう? 俺達の仲間は日本中、いや世界中にいるんだぜ? そんな奴らが、気軽にここを訪ねてくれたら嬉しいじゃないか」
「円堂……」

 あの頃も、今も、円堂のこういう鈍さは変わっていないようだった。
 たとえどれだけ時間が経とうと、円堂に寄せる想いを色褪せることなく胸に抱き続けている者がいることに、気づかないでいるのだから。

 しかし風丸にとってそういう者の存在は、自分のテリトリーを荒らす不穏侵入者に他ならなかった。

 監督室の窓から帰って行く二人を見送っていた円堂の目が、ある人物の姿を捉え、ガタっと身を乗り出した。その様子に、過敏に風丸も反応する。

「どうしたんだ、円堂?」
「……まだ授業中なのに、なぜあんなところにいるんだ?」

 円堂の視線は真っ直ぐ、校庭の片隅に立つ古ぼけたプレハブ小屋を指していた。


   ■ ■ ■


 京介は、今ではモニュメントと化した旧部室の前にいた。
 この部室は、かつて『宇宙人』と名乗る連中の襲撃を受けた際壊された部室を寸分たがわず再現されたものだ。廃部寸前だったサッカー部には似合いの部室だっただろうが、FFに優勝し宇宙人の襲撃も退けた雷門サッカー部には、大勢の入部希望者が詰めかけ、急遽部室を拡大することとなった。
 それが、今のサッカー棟へと変遷してゆく。

 つまり、この部室は部室として使われたことが無い。

「……抜け殻って、ことだよな」

 ぽつりとつぶやき、足元のサッカーボールをプレハブの壁にぶつける。

「ここに、10年前は……」

 もう一度、少し前より力を込めてボールを蹴る。ボコっと壁が少し歪んだ。

( 俺のやりたいサッカーがあった。熱く燃え盛る、そんなサッカーがっっ!! )

 同じ雷門でも、今と10年前じゃ大違いだ。立派なサッカー棟があっても、どんなにたくさんの部員がいても、たった一つ無いものがある。それは ――――

「円堂守、あんたなら俺はキャプテンと呼んでも良かった。なのに、なんで今更『監督』なんだ!?」

 更に力を込めて、ボールを蹴る。
 久遠監督が更迭され、新しい監督として円堂が赴任した時、剣城は『10年の時の流れ』を否応なく実感させられた。それが、悔しかった。

「なんで、ここだけ10年前のままなんだよ! 要らねぇだろっっ!? こんなもん!」

 渾身の力を込めて放たれたシュートが、部室の壁を『く』の字にへし曲げた。屋根と壁の間に空間が出来、グラグラしている。揺れるその錆び臭い金属的な感覚は、京介の胸を占めているものと近しいような気がした。

「何をしているんだ! お前っっ!!」

 先に駆けつけてきたのは、風丸の方だった。円堂が監督室で人影を認めるや否や、風丸はもう監督室を駆けだしていた。円堂の視線を捉えたものが何か、確かめずにはいられない本能のようなものに駆り立てられ、それこそ飛ぶような勢いで。

「ん~、目障りなんで、片付けてやろうかと」

 風丸の血相を見ても、鼻で馬鹿にしたような態度を崩さない京介。

「……ここが、どんな場所か分かって言っているんだろうな!!」
「ああ、分ってますよ。40年間サッカー部のなかった雷門に、あの円堂がサッカー部を立ち上げた時のボロ部室だったってなっっ!」

 足元に戻ってきたサッカーボールを、先ほどと同じ勢いでもう一度蹴り込む。グラグラしていた屋根の一部が、とうとう落ちてしまった。

「お前っっ!!」
「何を、そんな怒ってんです? これは、あんたのモノじゃないだろ」

 風丸の中の記憶が、『風丸』を突き動かしていた。

「……ああ、確かに俺のものじゃない。ここは、あの時一緒に同じ時を過ごした、皆のものだっっ!! それを、お前のような奴にどうこされる筋合いはない!!」

 その言葉が、京介の中の不可解な怒りに火をつける。

「へぇ、あんたもあの時の雷門イレブンの一人なんだ。名前、教えてもらおうか。俺は、剣城京介」
「俺は、風丸一郎太だ」

 ひゅぅ、と冷やかしの口笛が京介の口から聞こえた。

「なんだ! お前、その態度はっっ!!」

 今にも掴みかかろうとしていた風丸に京介は、正面から向かい合った。鋭い金色の眸は、凶暴な気をはらんで風丸を突き刺す。

「知ってますよ、風丸先輩の事。確か、強敵を前に仲間を置いて逃げ出し、裏切った奴がそんな名前でしたっけ? それがなぜ、のうのうと先輩ヅラ出来るんでしょうかねぇ」
「くっっっ……!!」
「俺が10年早く生まれていたら、あんたもそんな辛い思いをしなくて済んだはず。あの円堂の隣に居たのは、俺だっただろうからな」

 風丸に一歩近づき、至近距離で下から見上げる京介の挑戦的な目は、獲物を狙う猛禽類の眸。

「おい! 何をしている!! 風丸! 剣城っっ!!」
「剣城くん! あなたは、まだ授業中でしょうっっ!!」

( 円堂っっ!! )

 風丸に遅れた円堂は、途中で授業をボイコットされたと担任教諭からの連絡で京介を探していた春奈と出会い、二人してここまで駈けてきたのだ。その声が聞こえたのか京介の、風丸をねめつける視線がすぃと、後方に逸れた。
 その視線の意味は ――――

「あっと、これは校内ではオフレコだが、今あんたは円堂と一緒に暮らしてるんだろ? それも、もしかしたら、なぁ?」

 風丸の心を見透かしたように、ニヤリと嘲るような笑みを浮かべてそんな言葉で風丸を甚振る。
 だがそれは、風丸の前では絶対の禁句であった。

( エンドウハ オレダケモノダッッ ―――― !! )

 風丸は目の前が真っ白になり、自分の中の凶暴なものが大きく膨れ上がるのを感じた。

「グェッッ!!」

 いきなり首に手をかけられた京介の喉から、絞められる鶏のような声が出た。風丸は指の先を京介の首に食い込ませるように折り曲げ、禽が獲物を鷲掴むようにギリギリと締め付ける。あまりの力の強さに、京介の視界は赤黒い靄に覆われ霞んでゆく。薄れゆく意識でとらえた風丸の姿は、人とは思えぬ姿であった。憎悪と言う感情が姿を持ったら、こうではないかと思うそんな姿。黒いオーラが立ち上る中、風丸の背後で大きな青い羽が揺らめいているように京介には見えた。

「止めろっっ!! 風丸!! 剣城が死んでしまう!」
「風丸さん! 剣城くん!!」

 あまりに異常な事態に、円堂は背後から風丸を羽交い絞めにし、その隙に春奈が剣城の体を風丸から引きはがした。

「剣城くん! 剣城くんっっ!! しっかりして!!」
「はぁ、ふぅぅぅぅ……」

 春奈の介抱で意識を取り戻した京介は、円堂に羽交い絞めされたままの風丸を見、立ち上がると二人の側に近寄った。

「…………グゥゥゥゥ」

 興奮しているのか、風丸の口からは獣のような唸り声しか聞こえない。

「……監督。そいつ、もう完全にイッちゃってますよ。そのうち監督も、俺みたいにこいつに殺されかけるかもな」
「剣城っっ!!」
「いや、本当の事で。あぁ、この事面倒なんで、上にはスルーしときます」

 そう言い捨てて京介は、その場から去る。
 それが合図か、円堂の腕の中でもがいていた風丸の体からふっと力が抜け、そのまま意識を失ってしまった。


   ■ ■ ■


「そうか、そんな事があったのか」

 動揺した春奈からの電話を、難しい顔をしながら鬼道は聞いていた。確かに剣城という生徒は、「フィフスセクター」から派遣された「シード」で、雷門の中では浮いた存在だと聞いていた。もともと雷門に馴染むつもりのない生徒なら、雷門の人間の気持ちを傷つけ逆撫でにし、悪感情を起こさせるくらいは日常茶飯な事だろう。
 これが生徒同士ならば、衝突して暴力沙汰になることも分かる。あるいは担当教諭であれば、教育的指導としてやむを得ない体罰として、叩くという行為もあるだろう。だが、――――

( ……他の人には気づかれていなかったから、学校側には報告してないんだけど ―――― )
( ああ。それが良いだろう。雷門での円堂の立場が悪くなるからな )
( ええ……、でも、私もあんな風丸さんは初めて見ました。あんな、風丸さんではないような風丸さんなんて…… )
( 春奈? )
( あの時の、ダークエンペラーの時の風丸さんよりも、もっと別のモノに見えたの!! 本当に、怖かった…… )

 鬼道には、春奈の声の調子で、その時の風丸の異常さが伝わるような気がした。

「分かった。俺も後で様子を見に行ってみよう。少し、気になる事もあるからな」

 その言葉で締めくくり、鬼道は春奈からの電話を切った。そして、ひょんなことから食事を共にすようになったテーブルの上の『カゼマル』に声をかける。きっかけは、たまたま遅い夕食自室で取っていた鬼道が、物は試しと自分の皿からおかずやパンの欠片を小皿に取り分けて与えてみた事だった。今まで鳥のエサには見向きもしなかったカゼマルが、ここにきて初めてそれらを口にしたのだ。

「人が食べるものなら、食べられるんだな。お前、人間みたいな奴だな」

 ハンバーグをつついていたカゼマルが、視線を鬼道に合わせた。

「……確かに、お前が円堂の元に帰りたくない何かが、あそこで起きているようだ」
「キドウ……」 

 『カゼマル』は、この明晰な頭脳の持ち主が自分たちの友人であることを、神に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
 切ったばかりの電話が、再び鳴り響く。

「ん、また春奈か?」

 そう言いながら携帯に伸ばした鬼道の口調が、懐かしいものに変わる。

「久しぶりだな! 今、日本に帰ってきてるのか?」
「ああ。俺もそろそろ年貢を納めようかと思って」
「年貢? ああ、そうか。お前たちもそうだったな」

 相手の通話口で人が入れ替わる気配がした。

「お久しぶりです、鬼道さん」
「お、土門か? お前も、一緒に帰って来たのか」
「はい。まぁ幼馴染として、見届け役をと」
「相変わらず、苦労人のようだな」
「こんな性分ですから。それで、近日中に一度、ご挨拶に伺いたいと思っているのですが」
「ああ、俺の方はいつでも構わん。連絡さえもらえれば、時間は作る。アメリカでのお前たちの話や円堂の話も聞きたいからな」
「それじゃ、その前にまた連絡します」
「ああ、待ってる」

 そんな懐かしさに溢れた会話は、すぐに終わった。
 携帯を上着の内ポケットに戻しながら、一之瀬が言う。

「なぁ、土門。鬼道だけじゃなく、他の皆にも会いたいよなぁ」
「会いましょう、折角日本に帰って来たことですしv」

 一之瀬が土門にかけた言葉は、インターセプトされて目的外の人物から返事が返ってきた。

「……なんで、そこで伯爵が答えるかな?」

 困ったような表情で土門が言えば、一之瀬も苦笑いしている。

「いいじゃないですか。私もそろそろ美味しい日本のスイーツが食べたくなってましたし、旅は道連れと申しますでしょ?」

 と、にこやかな伯爵。

「それに……、契約違反だとしてもマモルの困った顔は見たくないと思ってしまったんですよ」
「伯爵……」

 優しいのか冷淡なのか、謎多い人物である。
 それでも確実に、事態は動き始めていた。



 === 【2】 ===


 風丸が倒れた日、一之瀬たちは鬼道に連絡を入れるのと前後して、円堂にも連絡を入れていた。円堂がその連絡を受けたのは、風丸を自宅に連れ戻り丁度ベッドに休ませた頃だった。

「よぉ、円堂! 元気にしているか?」

 相変わらずの明るい口調は、一之瀬のもの。

「一之瀬!? 一之瀬か?」

 辺りに響く、大きな円堂のの声。

「今、日本に帰ってきてるんだ。俺もいよいよ正念場だよ」
「と、言うことは……。そうか! お前もか!!」

 互いに遠く離れた地から、それぞれの想い人を思ってきあった同志のようなもの。男女の違いはあれど、互いの想い人とは幼馴染で、サッカーを通してより深い絆を築いたと言っても過言ではない。

「……うん。秋を、随分待たせたからな」
「本当に……。一之瀬、お前一体、何年待たせてるんだよ?」
「もうっ、それを言うなって!!」

 アメリカ時代の、あの明るい楽しい雰囲気が会話から伝わる。円堂は先ほどの雷門中での出来事から一瞬、意識を逸らすことが出来た。

「じゃ、木野にはもう知らせたのか? お前が帰って来たことは」
「いや、未だなんだ。実は明日、連絡と同時にプロポーズしようと思っている」
「驚くだろうなぁ、木野。喜ぶ顔が目に浮かぶようだ」
「ありがとう、円堂。それでなんだけど、今日はお前の家に泊めてもらってもいいか? あ~、土門も一緒なんだけど」
「ああ、それは構わないぞ。あっ、でも今、風丸がちょっと体調を崩していて何もできないけど、それでもいいか?」
「風丸、具合悪いのか? じゃ、そんな時に邪魔するのは悪いなぁ。うん、いいよ。俺達はホテル取るから」

 一之瀬とそんなやり取りをしていた円堂の携帯が、後ろからすっと伸びた手で取り上げられる。

「一之瀬?」
「あれ? 風丸か! お前、具合悪いんじゃないのか?」
「……もう、大丈夫だ。それより、お前たちも日本に帰って来たんだな」
「うん。一世一代の大仕事をしにねv」
「俺の事は気にせずに、泊りに来てくれよ。大したもてなしは出来ないけどさ」
「お前がそう言うのなら、安心してお邪魔させてもらうよ。こちらからデパ地下で何か見繕って買って行くから、食事の支度などは、何もしなくていい」
「そうしてもらうと、助かる。久しぶりだし、楽しみにしてる。じゃ、円堂に変わるな」

 そう言い終わると、取り上げた携帯を円堂の手に渡す。

「風丸、大丈夫そうじゃないか」
「あー、うん……。まぁ、俺も色々話したいこともあるし、それはお前たちが来てからだな」
「分かった。それじゃ、少し遅くなるが、よろしく頼む」

 一之瀬が通話を終わらせるのと同時に、声がかかる。

「連絡は終わりました? カズヤ」
「ああ。終わったよ。で、伯爵はこの後、どうするんだ?」
「そうですねぇ……。久しぶりの日本ですし、スイーツの名店巡りをしようかと思っています」
「デパ地下なら、俺達も付き合うよ?」
「そうですかv それでは、一緒に参りましょう♪」

 中性的で歌舞伎町的な伯爵と、いかにもスポーツマンらしい青年二人連れと言うのは、ある意味悪目立ちのするもの。スイーツに目のない伯爵の浮かれっぷりは、はた目からも異質な感じを醸し出している。

「なぁ、一之瀬」
「ん、なんだ。土門」
「向こうじゃそこまで気にならなかったが、なぜか日本だと妙に気恥ずかしいな」
「風土の違いなんだろうなぁ、やっぱり」

 二人顔を見合わせ、浮かれて歩く伯爵の数歩後ろをついてゆく一之瀬と土門。

「そうそう、二人とも。もし、マモルの周辺で不可解な事があったら、私にも知らせてくださいね。本当に、手遅れにならないうちに」

 いきなりくるりと一之瀬達の方へ振り返った伯爵に、そんな意味深な事を言われ、思わず顔を見合す一之瀬と土門だった。


 一方、円堂たちも ――――

「……本当に大丈夫なのか? 風丸」
「ああ、久しぶりに会いたいしさ。あいつ等なら、安心だから」
「安心?」

 聞き返す円堂の言葉には、風丸からの返事はない。
 それよりも ―――― 

( ……風丸、昼間の事は覚えていないのか? いったい、どうしちまったんだよ! 風丸っっ!! )

 気付かないようにしていた、ここ最近の風丸から感じる違和感を、胸の動悸と共に強く感じている円堂であった。


   ■ ■ ■

 伯爵とは途中で別れ、必要なものを買い込んだ一之瀬達は教えてもらっていた円堂の自宅を訪ねる。

「本当に悪いな。いきなりでさ」
「いや、構わないよ!! 久しぶりだなぁ!! 一之瀬に土門!!」
「久しぶりって、それをお前が言うのかよ円堂。まだ一か月とちょっとじゃないか。それで言うなら、なぁ、風丸!!」

 家の中、リビングから出てこようとしていた風丸を見つけ、土門が名前を呼びかけた。

「やぁ、いらっしゃい。ああ、あんまり変わってないな」
「えぇ十年ぶりに近いのに、変わってないか? 俺達」
「そうか? 一か月やそこらで、そうそう変わるもんじゃないだろ?」

 家の中にあがりながら、どこか噛み合ってない風丸と土門の会話に、一之瀬はふっと引っ掛かるものを感じた。

「あ、そうそう。これ、食べ物とワインと祝いの花束」

 それでもすっかり気心の知れた友人同士。
 一之瀬も引っ掛かりを横に置いて、持参した色々なものをダイニングテーブルに並べる。

「花束?」
「そう。お前たちの結婚を祝してv ちょっとばかり、遅いけどね」
「いや、ありがとう! 嬉しいよ、俺」

 一之瀬に貰った色取り取りのバラの花束を活けるために、風丸は洗面所へと向かう。
 その後ろ姿を見ながら ――――

「風丸、どこが悪かったんだ?」

 小さな声で土門が、円堂に訊ねる。

「あ、うん、それは後から話す」

 同じく円堂も小さな声で返事を返してきた。

 一之瀬達の前では、剣城の首を絞めようとした昼間とは別人のように、にこやかで朗らかな風丸。その姿は円堂を安心させるものではあったが、そのあまりに『無かったこと振り』にまた少し首を傾げる。いつもよりはしゃぎ気味の風丸がワインを勢いよく空け続け、酔って一之瀬に絡んでいた。

「一之瀬ぇ~、お前さ、結婚するつもりなんだろ? で、さぁ、『秋』はどーするつもりなんだ?」
「秋? ああ、金魚の秋の方か」
「やっぱり、どっかにやっちゃうのか?」

 酔って妙に据わった目つきで、風丸が一之瀬を見る。

「まさか!! そんな事はしないさ。これからも、側に置いておくつもりだよ」
「良かったぁ~、それを聞いて安心した!! カズヤの事一番好きなのは、『秋』なんだからさ」
「カズヤ? ん?」

 普段ならそう呼びかけることはない風丸に、反問の意味を込めて自分の名を口にしてみた一之瀬だが、気が付いたら風丸はすでに夢の国に入っていた。その様子に気付いた円堂が苦笑を浮かべつつ、風丸を寝室に運ぶ。

「どうした? 一之瀬」

 不審げな顔をしている一之瀬に気付いたのか、ワイングラス片手に土門が近寄る。

「……風丸に、『カズヤ』と呼ばれた」
「名前呼びかよ? お前たち、そんなに親しかったか?」

 土門も意外だという顔をする。

「いいや。俺と風丸の付き合いは土門、お前より短い」
「そうだよなぁ。俺の方が先に雷門に転入して、お前の転入はその後だったし」
「うん。それに転出はエイリア後、俺とお前は同時だったしね」

 二人黙り込んむ。
 一之瀬は、先ほどから感じている違和感を、どうやって言葉にしようかと考えあぐねていた。


   ■ ■ ■



「待たせたな。風丸が酔い潰れるなんて、珍しくてさ」

 寝室から戻ってきた円堂が、ちょっと罰が悪そうにそう言う。

「ああ、だよね。どちらかというと風丸は、飲み会なんかではお世話係ってイメージだ」
「うん……。あの、さ……」

 どことなく歯切れの悪い円堂の物言いに、一之瀬と土門は円堂の顔を見つめた。

「どうした? 円堂。いつものお前らしくないぞ?」
「気になる事は、口に出した方が楽になる」

 ふたりそれぞれに、そんな言葉を口にする。

「俺、風丸に負担をかけているような気がして……。あいつ、なんか変なんだ」
「変? それって、どんな風な……」
「ん……。以前はそう感じなかったのに、最近はあいつの俺への執着度が上がっているような気がして……」
「執着度?」
「なんて言うか……、俺が他の奴と話したり接したりするのを嫌がる風なんだ。あいつ、今日は俺と一緒に雷門中に来たんだけど、訪ねてきたヒロトとちょっと険悪な雰囲気になってな」
「ん~、それは基山が円堂に色目でも使ったんだろ? 風丸の前でそんなことすりゃ、気も悪くするって」

 と、庇うように土門が言葉を発する。

「いや、そんな事はなかった。今、俺が抱えている問題への協力を表明してくれただけだし、あの頃のようなヒロトでもないしな」
「それだけ? 他にもなにかあったのか?」

 そう促すのは、一之瀬。

「あと……、そうだな。染岡や目金によそよそしいというのか、距離のようなものを感じた」
「距離? そうかぁ? もし、そう感じるのなら円堂の方が疲れているのかもだぜ? 風丸、俺達にはあんなにも友好的じゃないか」

 そう言った土門の言葉を聞いて、はっとしたような顔で一之瀬が土門や円堂の顔を見た。

「そうか! 距離感なんだ。風丸に会った時に感じた違和感は、その距離感の無さだったんだ!」
「一之瀬、それはどういう意味だ?」
「今日会った時、風丸からは10年ぶりに会う友人と言う距離感を感じなかったんだ」

 気心の知れた友人ならば、会った瞬間にそんな時間の距離感などすぐなくなる。
 だが、その瞬間さえないとしたら、それは一体どういう意味を持つのだろうか?

「……そう言えば俺、最初風丸に、『10年たっても変わってないか?』と訊いたのに、あいつは『一ヶ月くらいじゃ』と答えた。あいつは、一か月前の俺達を知っているのか?」

 その土門の言葉に被せるように、一之瀬も引っかかっていた疑問点を円堂に尋ねる。

「なぁ、円堂。お前、『秋』の事を風丸に話したか?」
「えっ、『秋』の事? いや、お前が恥ずかしがっていたみたいだから、『一之瀬も金魚を飼っている。可愛がってるぜ』、みたいな事しか言ってない」
「じゃぁなぜ、知ってるんだ? アメリカにいる『秋』の事をさ」

 『秋』を話題にする時は、たいてい円堂の部屋か一之瀬の部屋に三人が集まった時だった。それこそ、『カゼマル』と対になるように互いが互いを話題にして。不可解な顔をしている二人の前で、さらに円堂は重たそうに言葉を続けた。

「……あいつさ、今日雷門で、一人の生徒の首を絞めかけたんだ」
「なんだってっっ!?」

 一之瀬と土門の声が重なる。

「どうして、そんな事になった!?」
「どんな事があっても、そんな事をするような奴じゃないだろっっ!?」

 不可解な表情は、さらに驚愕の表情へと変わる。

「首を絞めかけられた生徒って言うのも訳ありで、日頃から周囲の反感を買うような言動の多い生徒なんだ。だけど、そいつと風丸との間に直接関係するような事はないんだよな。だから、それだけに――――」

 円堂は辛そうに、そう言葉を続けて顔を俯かせた。

「……まるで別人だ」
「ああ。尋常じゃない」
「俺のせいかな……。風丸が、あんなになっちまったのって……」

 俯いたまま発せられた声は、もう涙声。

「……なぁ、円堂。その、風丸の様子が変わりだしたのっていつ頃からか、お前分かるか?」
「ん、うん。気になりだしたのはここ4~5日のことだから、本当に最近の事なんだ」
「じゃぁ、『カゼマル』が逃げてしまった後からなんだな」
「……そう言う事になるのかな」

 円堂の答えに、一之瀬と土門は互いに顔を見合わせる。 

「……分かった。俺達が力になる。お前までそんなに思いつめたら、周りはどうしたら良いか分からなくなる。お前が監督をしている子ども達も、困るだろう?」
「土門……」
「ああ。それに、風丸がこうなった原因を知っていそうな人もいるしな」
「一之瀬……」

 そう言った一之瀬を見た土門の頭には、一之瀬と同じ人物の名前が浮かんでいた。


   ■ ■ ■


 翌日、二日酔いで寝込んでしまった風丸の看護を一之瀬達に頼み、円堂は朝から雷門中に出勤した。学校に来て剣城の様子を見るためにも、またなぜあんなにも風丸が我を忘れて激昂したのか、それを剣城本人に聞くためにも。

「円堂さん、今日は早いんですね」

 学校に着いて、真っ先に声をかけてきたのは春奈。

「ああ。昨日の事があるからな。大丈夫だとは思うが、やっぱり心配だから」
「ええ。フィフスセクターのシークレットに引っかかって、剣城くんの住所などは教職員でも知らされていませんからね」
「剣城は不問にすると言ったが、それで済む問題だとも俺は考えていない。どんな理由があっても、大人が子どもの命を脅かすような事をしちゃいけない!!」
「円堂さん……」

 自分にとって生涯の伴侶であっても、『子ども達を守る』と言う信念の前では、冷徹なまでに公正なのだと春奈は知る。事情を明らかにされた場合、自分の立場がどれだけ不利になるかも考えて、それでもその信念は曲げないのだろうと。
 校門の近くで待ち続け、やがて一時限目の開始のチャイムがなる。それでも、剣城の姿は見えなかった。

「……あの傷が上の連中に見つかって、病院にでも連れて行かれたかもな」

 それでも円堂は剣城を待ち続けた。


  ■ ■ ■ 


 その頃、円堂が出かけた円堂の自宅では、また寝込んでしまった風丸の看護に一之瀬が残っていた。秋の所へ行きたいのは山々だけど、明らかに『異変』を感じている今、この状況をそのままにしておく訳にはいかない。土門は昨日連絡をしていた通り、鬼道の所へ挨拶へと出かけた。

「大丈夫か? 風丸。お前、あんまり酒に強くないんだろ?」
「……………………」

 頭まで薄い夏蒲団を被り、顔を壁側に背けたまま返事もない。

「……仕方ないなぁ。何か欲しいものはないか? 用意してやるよ。そうだ、リンゴでも食べるか?」

 と言う一之瀬の手には、昨日持ってきた果物かごの中から取り出したリンゴと果物ナイフがある。

「……いや、今は何も欲しくない」

 ようやく、それだけぼそっと返事が帰って来た。

「分かった。それじゃ、俺は隣のリビングに居るから、何かあったら呼んでくれ」

 そう言うと、一之瀬はサイドテーブルの上にリンゴとナイフを置き、パタンと寝室のドアを閉めた。


   ■ ■ ■


 昨日の今日で、それも朝食の時間あたりに連絡したにも関わらず、鬼道は土門の為に時間を作ってくれた。むしろ鬼道の方が、土門の訪問を待ちかねているような気配すら漂っていた。

「おはようございます、鬼道さん」

 鬼道邸の使用人に通された応接室で、出勤支度途中と分かる鬼道にそう挨拶をした。

「ああ。おはよう。こんな時間に、お前から朝の挨拶をもらうとは、まるで帝国の頃を思い出すな」
「はは、本当にそうですね」
「うん? 一之瀬は一緒じゃないのか。ああ、朝一番で木野の所に行ったのか」

 冷やかし半分、旧友の幸せを思ってほのぼのとした想いを込めて鬼道は、そんな言葉を口にした。

「ええ、昨日まではそのつもりだったんですけど……。ちょっと、気になる事が出来たので、それを片付けてからになりました」
「気になる事? もしや、木野には別に気になる相手がいるとかいう話なのか?」
「あ、いえいえ! そーゆー話ではなくて……。実は、夕べ俺達は円堂の所に泊めて貰ったんですけど……」
「円堂の所?」

 ぴくっと、鬼道の目元が細められる。

「何かあったのか?」
「ん~、どう話したらいいものか……」
「それは、もしかして風丸の事か?」
「ご存じなんですか?」

 やはりかと、鬼道は重たいものを吐き出すように息をつく。

「雷門のサッカー部の顧問は春奈だぞ」
「そうでした。それじゃ、今更言葉を濁すこともないって事で」
「……お前の眼には、どう見えた?」

 鬼道は単刀直入に、核心部分を聞いてくる。

「色々不可解な点があります。一言でいえば、あれは風丸じゃないかもしれない」
「風丸じゃない? まさかっっ!! でも……、そうだな。円堂の所で何か起きているのは、俺も薄々察知してはいたのだが……」
「察知していた?」
「ん? ああ、まぁな。そうだ、お前に会わせたいモノがある。俺の私室に来てくれないか」
「分かりました」

 鬼道の言葉に土門は、応接室のソファーから立ち上がった。
 昔、数回来たことのある鬼道の私室へと足を運ぶ。部屋の扉が開いた途端 ――――

「キドウ、キドウ!!」

 土門には、聞きなれた声がした。

「えっ? あ、なんでここに『カゼマル』が……?」
「やはり、お前が見ても、これは『カゼマル』なんだな」

 鳥かごの外で、鬼道の朝食の相伴に与っていたカゼマルが土門の顔を見て、びっくりしたように琥珀色の瞳をまぁるく見開く。

「ドモン、ドモン、ドモンッッ!!」

 バタバタと羽を広げ、何をか訴えようとしている。

「こいつが『カゼマル』だって気づいていたのなら、どうして円堂の所に連絡してやらなかったんです?」
「……こいつが、物凄く嫌がったんだ。嫌がり方が尋常じゃなかったので、しばらく様子を見ることにしたと言う訳だ」

 朝食を摂っていた机の上を、トコトコとカゼマルは歩いてきて、二人の間で立ち止まるとそれぞれの顔を見上げた。

「鳥かごに入れなくて、いいんですか? また逃げられたら……」

 伯爵の言葉を思い返し、この鳥が外に出ていることを警戒する土門。

「この鳥は逃げない。それに、俺の言う事が分かっているみたいだ」
「ええ、頭の良い奴ですからね。鬼道さんの名前も、直ぐ覚えたんでしょ? アメリカに居た頃は、『エンドウ』しか、人の名前を覚えようとはしなかったんですけどね」
「いや、俺は教えてないぞ? 円堂がアメリカで教えていたんじゃないのか?」
「そんな感じはなかったですけどねぇ……」

 『カゼマル』はこの二人が自分の事を話しているのだと悟ると、どうにかして自分が『風丸』であると伝える方法はないかと考えた。自分の身に起きた異変は、超次元に慣れた仲間でもそう簡単に納得できるものではないだろう。自分でさえ、これは長い長い悪夢なのではと思う時もあるのだ。

( それでも、俺が俺であることを、俺が『風丸』だと、知らせなければっっ!! )

 鬼道の机の上を歩きまわっていたカゼマルは、ふとその机の上に飾られていた一枚のポートレートに気がついた。
 それはあの十年前、FFI優勝の時に皆で撮った記念の一枚。
 カゼマルはその写真の前に歩いてゆき、コツコツとフォトフレームのガラス面をくちばしで叩いた。

「おい、カゼマルが何かしている」
「しっ!そのまま、何をするのか観察を!」

 カゼマルは二人の注意を引くことに成功した。
 コツコツとまた、ガラス面を叩く。そして ――――

「ゴーエンジ!」

 一言、告げる。
 更に ――――

「フブキー」

 カゼマルのくちばしは、間違いなく炎のストライカーと雪原の貴公子を指し示していた。

「土門! これはっっ……!!」
「ええ。信じられませんが、確かめてみます」

 土門は、そのフォトフレームを手に取ると、今度はランダムに写真に写っている人物を指さしだした。


   ■ ■ ■

 一之瀬は風丸が休んでいるうちにと、こっそり携帯の画面を開いた。そして、ある人物の番号を呼び出す。さほど待つこともなく、先方は出てくれた。

「どうしました、カズヤ?」

 かけた相手は、D伯爵。

「……今、円堂の家からかけているんですが ―――― 」
「円堂……、マモルの家?」
「はい。伯爵が円堂の周辺で不可解な事があればと、言っていたので……」
「ああ、やはり」

 通話口の向こうで、ふっと冷たい気が流れたような気がした。

「……風丸の、あの、円堂のパートナーの様子がおかしくて、それで伯爵なら、その原因が分かるかと」
「分かりますが、状況を好転できるかどうかは分かりませんよ? あの青い鳥がいない、今となっては」
「それでも構いません。無理を承知でお願いします。こちらに来てもらえませんか?」

 一之瀬の声は、次第に大きくなっていた。ここで伯爵にまで見放されたら、この一件は解決しないどころか、物凄く嫌な結末しか待っていないような予感がするのだ。自然、話す声にも力が入る。

「……では、その家の住所を。早く、伺った方が良いようですね」
「ありがとう、伯爵! えっと、ここの住所は ―――― 」

 そう、一之瀬が伯爵に告げようとした時だった。
 隣の寝室の窓が開く音がした。その音に続いて、人が外に出る音も ――――

「ちょっと待っていてください!!」

 慌てて携帯をそこに置き、寝室の様子を見に行った一之瀬が見たものは、庭越しの植え込みの向こうを飛ぶように駈けてゆく風丸の後ろ姿だった。はっと、気を取り直して寝室内を見回すと、サイドテーブルの上に置いていた果物ナイフがない。

「大変だ! 風丸がナイフを持って家を飛び出したっっ!!」

 リビングに戻り、携帯を掴むと同時にそう叫ぶ。

「行き先に心当たりは?」

 落ち着いた伯爵の声が返ってくる。

「行先……、どこだろう……?」
「マモルの所なのでは?」
「分かった!! 雷門中か! 済まない、伯爵!! 土門に連絡してくれ! 俺は、風丸の後を追いかけるっっ!!」

 慌ただしく切られた通話に、ふぅと一つため息をついて伯爵は土門へ電話をかけた。


   ■ ■ ■



「……もう、間違いないな」
「はい。まさか、本当にこんな事があるなんて……」

 鬼道と土門、二人は今、目の前にした事実に驚愕を隠しきれなかった。

 カゼマルは、土門が指さした記念写真の中の人物の名前を全て間違いなく答えたのだ。
 ただの鳥に出来る芸当ではない。

「道理で、鳥のエサを口にしなかった訳だ」

 鬼道は口元を抑え、小さく苦笑する。

「お前、『風丸』だな?」

 確信を込めて、鬼道はカゼマルに問いかけた。

「キドウー!! キドウ!!」

 この姿になってから初めて、自分の本意が伝わった事に、鬼道の名を呼ぶカゼマルの声には嬉しさが溢れていた。丁度その時、土門の携帯が鳴る。

「うぁっ、あ、はい。はいっ!? え、そんな……」

 受けた土門の声に、みるみる焦ったような緊張感が走るのを鬼道は感じた。

「どうした、土門?」
「……風丸が、ナイフを持って家から抜け出したそうです」
「ナイフっっ!?」

 嫌な予感が背中を走る。

「今、一之瀬が後を追っているそうです。連絡をくれた知り合いも、雷門中に向かうと言ってます」
「よし、分かった! 急ぎ、車を回させよう!!」

 急転した状況に、カゼマルも置いてゆかれまいと大きく翼をはためかす。

「……そうだな。お前も一緒に来い! 風丸!!」

 すっと差し出された鬼道の左腕に、カゼマルはふわりと留まった。


   ■ ■ ■


俺は走った。

 もう、時間はない。
 昨夜の、円堂たちの話も聞いていた。
 俺を疑っている。


 『風丸』じゃないと ――――


 俺はただ、円堂と二人で…… 二人きりで暮らしたかっただけなんだ。
 俺は円堂のもので、円堂は俺のもの。

 そんな簡単で、確かな、そして絶対な関係だったはずなのに……

 どうして?
 どうして、円堂の周りには『俺』以外のモノが溢れているんだ!?
 どうして、たくさんのモノが円堂を慕い、たくさんのモノに愛情をかけるんだ、円堂?

 俺は、そんな円堂を知らない。
 俺が今まで見ていた円堂は、帰ってきたらいつも愛の言葉をささやいてくれる円堂だった。

「愛してる、風丸」
「大好きだ、風丸」

「風丸。俺の側にずっと居て欲しい ―――― 」

 だから、だから、俺はっっ!!

( ……このままだと、きっと俺と円堂は引き離される。そんな事になる前に ―――― )

 このナイフは、失くした鉤爪に代わりになってくれるだろう ――――


   ■ ■ ■


「へぇぇ、こんな所で待ち伏せかよ。円堂監督」

 一時限目が始まり、校門付近にはもう教師の姿も生徒の姿もない。雷門中の校舎を背景に、切り取られた絵の様に二人、円堂と京介は対峙していた。

「……お前の事が心配で」
「心配なのは、自分の身の安全なんじゃねぇのか?」

 相変わらず、目上を目上とも思わぬ態度である。

「俺はどんな理由があっても、大人が子どもを危険な目にあわせてはならないと思っている。だから昨日の事にしても、そのままにはしたくない」
「子ども? 監督、大人おとなって言っているあんたの方が、よっぽど子どもじみてますよ。今時、本気のサッカーをやろう!! なんて言ってさ」

 尊大な態度はそのままに、言葉で円堂を嘲笑う。

「きちんと責任を取りたいんだ。だから、どうしてあいつがお前の首を絞めたのか、その理由が知りたい。その上で、あいつに法的責任を取らせることも、俺が引責することも考えている」
「理由ねぇ……」

 京介は胸の内で、にやりとほくそ笑む。
 自分のような『子どもの領分』に居るものが、大の大人を自分の意のままに動かせるのは、小気味良い事だと加虐心が疼いていた。

「まぁ、昨日も言ったように、俺も面倒なことは避けたい。それでも、どうしてもって監督が言うのなら、俺が出す条件を飲んでもらえますかぁ?」

 この伝説の人物に対しての優越感で、心の中はいっぱいになる。

「剣城……」
「理由、知りたいんだろ? 監督は。何が気に障ったのか知らねぇが、俺は10年前の真実を言っただけだ。あの風丸って先輩に、『あんたは弱い』ってね」
「お前っっ……!!」
「弱いから逃げ出して、仲間を裏切った。もし俺がその場にいたら、あんたなんかの力は借りないで済んだはず。監督の隣に居たのは、俺かもしれないってね」
「…………………」

 ぎゅっと円堂の拳が、握り込まれる。
 そんな円堂の反応に、いや増す愉悦感。

「じゃぁ、こうしましょうか? 監督、あんたは今一緒に暮らしている、あの風丸って人と別れてください。監督はこれからの雷門サッカー部にとって欠けてもらっては困る存在。そんな人の周りに、あんな危険人物がいるのはマズイと思いませんかぁ?」

 さっと、円堂の顔に動揺が走ったのを京介は見逃さない。
 どんな懲罰よりも、この方がこの二人には痛手になる。
 体が触れそうなほど近くにより、下から挑発的な目つきで円堂を見上げる。
 その姿は、悪魔が勇者を誘惑しているようにも見え ――――

 追い詰められた心境で、その光景を目撃した風丸は嫉妬で一瞬にして焼き尽くされる。

( 円堂っっ!! そして――――っっ!! )

 風丸の全身からほとばしる殺気。
 ナイフを掴む手に、力を込める。

「円堂から離れろっっ――――!!」

 叫ぶが早いか、ナイフを振りかざし京介の心臓を目掛けてその手を振り下ろそうとした。

「止めろっっ!! 風丸っっ――――!!!!!」

 叫ぶと同時に円堂は、京介の体を自分の胸の内に抱え込み、背中を向けて防御態勢を取る。京介に向かって振り下ろされる筈のナイフの切っ先は、円堂の背中から肺を貫通して心臓に届くような位置。円堂の肩越しに京介は、嫉妬に狂ったあまり般若のようになった風丸の姿を目にした。その姿に、ぞくっとしたものが背中を駆け抜ける。『ヒト』のようで『ヒトでない』モノの姿を目の当たりにして。

「危ないっっ! 監督!!」

 虚勢も何もない、素直な心で円堂を心配する言葉が京介の口から飛び出した。 
 そして、その時だった。

「円堂っっ――――!!!!!」

 何者かが、円堂の名を呼びながら、円堂の背中とナイフの切っ先の間に、疾風のように割り込んできた。ふわりと、空気に溶ける薄青い髪が舞い上がり舞い落ち、円堂の背中を自分の体で庇う。目があった、円堂を心配する京介に優しく微笑むその顔は、自分に凶刃を向けた『風丸』と同じ顔。ただその顔は、『ヒトでない』との思いは同じでも、あちらが般若であれば、こちらはまさしく風を纏う『神』のそれであった。

 チーッッッ、チッ――――

 一瞬の、ありえない光景は、円堂の足元に落ちた青い鳥の上げる鳴き声で、現実に戻る。

 夥しい鮮血と、舞い散る青い羽。
 振り上げられた刃は、円堂を庇うようにして飛び込んできた青い鳥の羽を切り落とすに留まり、円堂は無傷で助かっていた。

「円堂っっ!!」
「風丸、止めろ!!!」
「円堂――っっ!!」
「風丸――――っっ!!!」

 二人を心配する声が、青い鳥が飛んできた方向から聞こえる。
 風丸が家から飛び出したと連絡を受けた鬼道は、土門や『風丸』と共に雷門中へと向かった。雷門中の校門近くで一之瀬を見つけ、そのまま校門近くまで車を付けた時には、すでにもう一人の風丸は、凶器のナイフを振りかざしていた。車のドアを開けるのと同時に、『風丸』が青いイナズマの様に鬼道の元から飛び出した。

「あ、ああっっ…………」

 全てが終わった事に気付いたカゼマルが、手にしたナイフを自分の首に突き立てようとしていた。

「止めろっっ!! カゼマルっっ!」

 咄嗟に円堂がカゼマルにとびかかり、手にしたナイフを弾き飛ばす。

「……一体、何が起きてんだよ」

 京介が、小さく口の中で呟く。
 現実と思った事も、まだ『非現実的』な事象の続きであった。
 円堂に押し倒されたカゼマルに、すっと手を伸ばすモノ。

「風丸……」

 円堂がそれが誰か気づき、その名を口にする。
 全身が淡く白青色に光っている。
 ふわりとした風の中を歩いているように、長い青い髪は風になびく。

( ……俺の体、返してもらうぞ )
( ………………………………… )
( 俺に成り切るには、お前、覚悟がたりなかったな )

 直接、耳に響く声ではなかった。
 魂に語りかけるような、そんな声だった。

( 円堂は、誰のものにもならない。一緒に暮らそうとも、俺のものにもならない。それでも良いと思える覚悟がなければ、円堂の手を取ってはならない )

 それは、円堂への滅私の愛を誓った風丸の、魂の言葉。
 円堂を、大きな世界に羽ばたかせるための覚悟はいつでも出来ていると。

 光を纏った風丸が、地に倒れ伏したカゼマルの手に触れた。
 瞬間、光は本来の入れ物である自分の体に吸収され、変わって小さな青い光が弾きだされて、それは傷ついた青い鳥の体の中に入っていった。

「……無事、元に戻ることが出来たようですね」

 ありえない出来事に誰もが言葉を無くしているところへ、聞きなれない声の主がそう告げた。

「……誰だ?」

 訝しさを瞳に浮かべ、鬼道が尋ねる。

「私は、その鳥をマモルに譲ったペットショップの者です」
「伯爵!!」
「伯爵、俺……」

 顔見知りなのか、一之瀬や円堂から声が上がる。

「言ったはずですよ? マモル。マモルが日本に帰るときは、カゼマルはお店に戻すと」
「ごめん、伯爵。まさか、こんな事になるとは思わなかったんだ」

 伯爵は羽を切られ、瀕死の青い鳥を手に取ると労わるように両方の掌で包み込んだ。

「とは言え、私も無理を承知でマモルにこの子を委ねたのですから、マモルだけを責める訳にはいきませんね」
「無理を承知?」

 円堂と青い鳥との出会いの経緯を知っている一之瀬達から、疑問の声が上がる。

「種が違いすぎますからね。いくらこの子がマモルに恋をしたからと、その恋を叶えてやろうとしたのが間違いなのでしょう」
「鳥が人間に恋?」

 そう言葉を返しながら土門は、この青い鳥が円堂に会った時の様子を思い返していた。
 人に懐かない鳥が、円堂の気を引こうと大きく羽を広げ軽やかに踊って見せたその様を ――――

「あれって、求愛行動だったんだ……」

 同じ場面を頭に浮かべたのか、一之瀬の口からそんな言葉が零れる。

「……この種の鳥は、もうこの子が最後の一羽。同族で、恋をすることも叶わない寂しい子だったのです。ならば、せめてマモルがアメリカに居る間だけでも、幸せな時間をあげたいと言う親心だったのですが ―――― 」
「……だからと言って、そんな危険な鳥をペットと売るなんて、一体どういう経営理念を持っているんだ!?」

 鬼道が抗議する。
 それに対し ――――

「経営理念などという、おこがましいものは持ってはおりません。ただ私どもは、飼い主とペットの幸せな出会いをお手伝いしたいという気持ちだけです」

 まだゴタゴタと揉めそうな一同をぴしゃりと治めたのは、一番の被害者だった風丸本人だった。

「もう……、良いじゃないか。俺はこうして、元に戻れた訳だし」
「そんな事を言って、風丸! お前、下手をしたら一生、あの青い鳥のままだったのかもしれんのだぞっっ!?」
「はは、それはまぁ、多分に死にたくなるけどさ」
「なら、なぜ!?」

 鬼道がそう言いたくなるのは、当然だろう。

「だけどあいつも物凄く円堂の事が好きだったんだと分かってさ、そうしたら、『ヒト』になりたい気持ちも分かるから、な……」
「風丸……」

 驚愕や後悔や怒りの感情が渦巻く中で、風丸だけは一人静かに思う。
 そう、もし自分があの鳥と同じ立場だったとしたら……、と。

「……マモルの言葉には力がある。良いにしろ悪しきにしろ、それを自覚していないと、また大変な事になるでしょうね」

 カゼマルが円堂からもらった数々の愛の言葉が、ここまでカゼマルを追い込んだ事に気付いている伯爵が、そう釘を刺す。

「ああ、それ。分かるなぁ」

 しみじみと 土門が頷き同意した。


   ■ ■ ■

「君、剣城くん?」

 一連の出来事に、自失茫然としていた京介に、そう声をかけた風丸。

「あ、ああ……」
「俺のせいで、危ない目に合わせてしまった。この責任は、きちんと取らせてもらう」
「は? なに……」

 同じ姿なのに、今 京介を見る風丸の視線は、どこか優しい。
 京介すら認めたくない、心の内をすくい上げたかのように。

「……記憶はあるんだ。君に何を言われ、何をしたか。『俺』がやった事は、大人として絶対やってはならないこと。さぁ、警察に行こう。君の、その首の痣が消えないうちに」

 覚悟を決めた、瞳だった。
 静かで力強い、そんな瞳の光。

( こいつは、弱くなんかない。弱さを認める、『強さ』を持った奴だ )

「……なんの話だ。この首の傷は、動物アレルギーだ。鳥の羽が当たって、赤くなっただけさ。あんたのせいじゃない」
「剣城……」

 円堂が、態度の変わった京介をびっくりしたような目で見た。

「良いのか、それで」
「俺は、最初から面倒なことはご免だと言っている。もう、この話はここで終わりだ!」

 そう言い捨てると、京介は校舎内へと消えていった。

「まぁ、とにかく治まるように治まったってとこか?」

 と、土門。

「伯爵、その鳥……」

 自分が約束を守らなかったばかりに、こんな痛々しい目に合わせてしまった自責の念で、円堂の声は小さい。

「ええ。命が助かっても、もう二度と空を飛ぶことは出来ないでしょう。仕方ありません、これも自業自得。種としての掟を破ったのですから」
「種としての、掟?」

 一之瀬が反問して尋ねる。

「愛情深い種だけに、一度番ったパートナーに対しては、絶対の献身を誓います。だからこそ、『幸せの青い鳥』とも呼ばれたもの。それなのに、マモルの命を殺めようとした。これは種としての禁忌なのです」

 そう告げると伯爵は、皆の前で軽く会釈すると青い鳥を連れて立ち去った。
 その後ろ姿を見送りながら、一之瀬と土門が一言ずつ言葉を交わす。

「……俺たち、いろんな目にあってきたけど、まだまだ知らない事が沢山ありそうだ」
「だけど、もうこんな事はご免だな」

 そう言いながら、一之瀬達は円堂と風丸の二人を見ていた。

「すまない、風丸。俺のせいで、怖い目に合わせてしまった……」
「もう、済んだことだ。それに、ちゃんとあの『俺』が俺じゃないと気付いてくれていた。それだけで、十分さ」
「でも……」
「……覚悟、してるから。お前と一緒になるって、それだけ大変な事だって」

 まだ何か言いそうな円堂を、風丸は両腕を広げて包み込む。

「なぁ、円堂。言ってくれよ。俺、ちゃんとお前の所に戻って来たんだからさ」
「風丸……」
「ただいま、円堂」
「おかえり!! 風丸!」

 母校の校門前で、人目も憚らず必至と抱きあう二人。

 お前たちっっ!! 大胆すぎるだろっ! と言うツッコミを飲み込んで、鬼道・一之瀬・土門の三人は、抱きあう二人に背を向けて、少し赤い顔を見合わせていた。


  ■ ■ ■ 


 こうして、この世にも不思議な騒動は、関係者の胸に深く潜められ、いつしか日常な出来事に紛れていった。
 春奈には、鬼道の口から説明をされたが、その事実をどれだけ春奈が了承したかは定かではない。
 それでも ――――

「じゃ、もういつもの風丸さんに戻ったんですね」

 と言う、一言で幕を引いた。
 風丸の異変を訝っていたヒロトも、その後開かれた一之瀬と秋の婚約披露パーティの席での、いつもと変わりない風丸の姿に、安堵の笑みを見せてくれた。



「おや? 今日は、こちらでお仕事ですか?」

 しばらく日本に滞在していた伯爵の帰国日、伯爵は空港で意外な人物の待ち伏せを受けた。

「土門に教えてもらった。今日の午後一番の便でアメリカに帰ると」
「ええ。それで、何か私にご用でも?」

 ざわざわとした空港ロビー。
 二人の周りだけ、喧騒が遠のいてゆく。

「ああ、まぁ……。その、カゼマルはどうなった?」

 言い難そうに、それだけ言葉にする。

「……お陰様で、一命は取り留めました。ただ、あれだけの大怪我です。今すぐ連れて帰る訳にもゆきません」
「ああ、だろうな」
「傷が治るまで、知り合いのペットショップに預けています。預けているうちに、あの子を欲しいと言うお客がいれば、譲っての良いという条件で。でも、片翼のない鳥では、商品にはならないでしょうね」
「…………………」
「私の店に戻っても、結局のところ飼い殺しです」

 じっと伯爵は、鬼道の表情の変化を見ていた。

「……もし、気になるのでしたら、ここがそのペットショップの場所です」

 そう言いながら伯爵は、一枚の名刺を鬼道に渡した。それを受け取り、鬼道は足早に空港のロビーから出ると、タクシーを止め名刺の住所を運転手に告げた。

「Mr.キドウ、あなたも叶わぬ恋をしていらっしゃるのですね。出来れば、恋している方の相手に成り代わりたいと思う事もあるほど」

 風丸が、自分をひどい目に合わせた青い鳥の気持ちが判ると言った時、同じように、そうそっと心に思い浮かべた者がいたのだ。

「片翼では飛べぬ鳥も、比翼の鳥のように対になれば、遠くまで羽ばたくことも出来るでしょう。あの鳥が、あなたにそんな出会いを運ばぬとも限りませんよ?」

 伯爵の眼には、ペットショップから青い片翼の鳥を手に出てくる青年の姿が浮かんでいた。
 
「マモルの言葉に魅せられ、心を縛られたのはあの鳥だけじゃなかった。きっと、彼の事です。周り中にそんな言葉をかけていたのでしょう。風のような彼以外、今はみんな片翼の鳥のようなもの。傷を癒し、両翼で飛び立つものもあれば、片翼同士寄り添う者もあるかもしれない。それもまた、人生」

 伴侶を持たぬ生を繰り返す伯爵には、送るすべもない人生。
 それがうらやましいのか、疎ましいのか誰にもわからない。


 それは、『幸せ』と同じ ――――
 なにが『幸せ』で、なにが『幸せでない』のかなどは。

 そう、『シアワセノ アオイトリ』は、それぞれの胸の中に住んでいる ――――  



【完】



  2011年06月26日脱稿



   === あとがき ===

「シアワセノ アオイトリ」ようやく、完結です!! 
今回は、風丸くんの見せ場を入れたくて、頑張ってみました(*^^)v  
内容的に相変わらず円風円で、京円で、ちょこっと鬼円? 
まったく方向性の違う作品とのクロスオーバーだったので、どうなることかと思いましたが、なんとかなったみたいです(笑)  
一風、異質な物語ですが、楽しんでもらえたら嬉しいです♪



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Date:2012/03/13
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