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□ たとえばこんな、夏合宿 □

たとえばこんな、夏合宿2


 食べ盛りの男子中学生でも、最後に菊乃特製の焼きおにぎりが出る頃には、もうお腹の許容範囲もMAXに近かった。

「ふぅぅ、良く食べたね信助!」
「うん。皆と一緒に食べると、本当に美味しいね!!」

 満腹で幸せそうな表情の一年生を見れば、二年生だって自然と顔の表情は緩んでくる。

「なぁなぁなぁ! 花火やろうぜ、花火!!」

 そして二年生の中では一番お祭り好きそうな浜野が、段ボールに入った花火を持ってきた。

「どうしたんだ、その花火」

 確かに合宿の話が出た時に、監督はプライベートな合宿だから花火も出来るぞと言っていたから、もしかしたら監督が用意したものかとも神童は思う。

「うん? ああ、これ? 菊乃おばあちゃんから使っていいよって渡された」

 浜野は首だけ後ろに振り返りながら、にこにこしながらバーベキューの後片付けをしている菊乃にニパっとした笑顔を向けた。それに気づいたのか、小首を傾げたような笑顔を返してくる菊乃。

「なんだか、一から十まで菊乃さんにお世話になってるなぁ。合宿っていうより、一泊二日の温泉旅行のようだ」

 神童や浜野たちが集まっている所に顔を出した円堂も、そんな事を言っている。

「監督は俺達をリフレッシュさせるために、この合宿を思いついたんですよね?」
「ああ、そうだ」
「それって、鬼道さんもご存じのことですか?」
「まぁ、多分な。あいつ、そーゆー事には敏いから」

 なるほどと、思う。

 ( さすが、伝説の天才MFと言われた人だ。気分転換の合宿でも、一つ間違えば余計にストレスを溜めてしまう場合だってある。例えば、食事の支度一つしたって手際の悪さから、イライラしてしまう事もあるし )

 声には出さないが、神童も鬼道の心遣いに深く感謝する。
 その可能性を考えての、管理人の配置だったのだろう。

( 菊乃さんって、まるで田舎のお祖母ちゃんのような人だから…… )

 夏休み、大勢の孫に囲まれて嬉しそうに笑っているお祖母ちゃん、菊乃の姿はそう神童には見えていた。


   ■ ■ ■


「おや? 皆さんの所には行かれないんですか?」

 花火やるぞー、の浜野の声であの神童まで中庭の中央に集まっている。その輪から外れ、一人倉間はバルコニーの椅子に腰を下ろしていた。

「ん、ガキの遊びに付き合う気はねぇ」

 ぽそりと、そう言い捨てる。

「子どもの遊び、そうですね。有人坊ちゃまも、早くにそういうものからは卒業されてしまったのに、菊乃は夏が来るたびに花火を買ってしまって……。あんなに沢山になってしまったんです」

 優しく懐かしく語る口調に、ほんの微かな寂しさのようなものを倉間は感じた。

「もっと子どもでいても良かったと、菊乃は思うのでございますが……。この夏で最後ですので、思い残すことなくあの花火たちを空に還してやりたいのです」
「…………………………」
「人が大人でいる時間は、とても長い。子どもでいられる時間なんて、ほんのわずか。子どもでいられる間は、思いっきり子どもであっても良いと思うのですよ」

 それは、今はもう大人になってしまった『有人坊ちゃん』に言っているのか、目の前の自分に言われているのか、倉間には判断がつかなくなっていた。

( 子ども、か。ワガママで自分勝手で、一途で馬鹿で……。ああ、確かに『今』じゃないと、許されないのかもな )

「お願いしても、よろしいですか?」
「え、なに?」

 一瞬、考え込んでいた倉間に、にっこり笑顔を向けて菊乃が丸いクッキーの缶のようなものを差し出した。

「花火の種火です。炭の火が残っていたので」

 タオルで包まれたクッキーの缶の中を見れば、確かに炭の残り火が入っている。蝋燭やライターで点けるより、こちらの方が花火に点火しやすい。

「行ってらっしゃいまし」

 菊乃が倉間に向ける笑顔に背中を押されて、倉間はみんなの所へと歩んで行った。


  ■ ■ ■


 シュポッッ、パチパチ、ジュー
 パチパチ、バチバチバチッッッ シュー

 花火独特の煙の匂いが、今よりもっと幼かった頃の夏を思い出させる。

「あ、また蝋燭消えた」
「花火に点火した時の勢いで、消えちゃうんだよね」
「監督、ライターあります?」
「いや~、悪ぃ。俺、煙草吸わないから持ってないんだ。古株さんに聞いてくる」

 その場を離れて駈けだそうとする円堂に、倉間が声をかけた。

「行かなくていいです、監督」

 そう言って菊乃に渡されたクッキーの缶に入った炭の残り火を下に置く。

「その花火、菊乃さんが有人坊ちゃんの為に毎年用意していたものだそうです。今年の夏が最後だから、全部使ってほしいって」
「鬼道の為に……?」

 ふっと円堂の頭に浮かんだのは、中学三年の夏。
 全ての大会が終わって部活を引退した日に、鬼道や豪炎寺や風丸たちと花火をした時の事。最後の一本になった線香花火の火玉が地面に落ちて、ジジジッと燃え尽きるのを見ていた夜。
 本当の意味で、過ぎてゆく時の切なさを覚えた夜だった。

「気が利く管理人さんだな。よし! 花火全部使ってしまうぞ!!」

 花火が楽しさだけで出来ているように思えるのは、本当に幼い子ども時代だけ。
 大きくなるにつれて、その楽しさの裏にある切ないものに気付いてゆくようになる。大人は、楽しかった子ども時代を思い出す為に、花火をするのかもしれない。

「こらっ! 霧野!! 花火を振り回したら危ないだろっっ!!」
「え~っっ!! こっちの方が綺麗じゃん!!」

 火花をシャワーのように降り注がせながら笑う霧野は、本人が聞いたら殴られるだろうが本当に女の子のようだった。

「倉間~! 並べ終わったら、端から点火なっっ!!」

 菊乃が買いためた花火の中から、ドラゴン系の花火を選んでずらっと地面に並べ、手持ち花火の燃えさしに炎を移して、一斉に点火させる。点火するまでのタイムラグが噴き出す火花の壁に高低差をつけて、それはさながら光のメロディーライン。

「わぁぁぁ~~♪ 凄い、凄い!! 綺麗ですねっっ! 浜野先輩!!」

 色とりどりに変わる火花の色に彩られ、天馬の瞳が星のように輝いている。

「天馬! まだ見たことのない花火が沢山あるよ!!」

 手持ち花火とは違うフォルムの花火を、腕に抱えて信助が天馬の所にやってくる。

「本当だ。見たことない形だね。これは円盤みたいだし、こっちは筒みたい」
「花火に書いている漢字も、なんだかちょっと違うね」

 天馬達が頭を捻りながら、手にした花火をあちらこちらから見ている。

「なんか困ってるみたいだぞ? 行ってやれよ、神童」
「なっ……、霧野、お前っっ!!」

 暗がりで、どんな表情を神童は浮かべたのだろう。

「何焦ってんだよ? お前、あいつらのキャプテンだろ?」
「うっっ……」
「ほらほら、早くv」

 霧野に急かされ、困った風の天馬達に他の誰かが気が付いて、親切な先輩役を取られるのもなんだか嫌で、緊張を隠しながら神童は天馬達に近づいた。

「どうした、天馬」
「あ、キャプテン! この花火、どこに点火したらいいか分からなくて……」

 渡された花火を見ると、外国産のもので表示もハングルと簡体字で表記されている。

「……中国花火か。多分、こことここに火を付けろって書いてあるな」

 漢字は表意文字。読めなくても、その文字が入っていれば、なんとなくの見当はつく。天馬達は神童に言われた通り、筒型の花火の両端に点火した。

「で、これどうやって持つんですか?」

 両端から小さく火花を噴出しかけている花火の真ん中あたりを持って天馬が尋ねる。

「あっ! 馬鹿っっ!! 危ないぞ! その花火は手でもって遊ぶものじゃない!! 早く手から離せっっ!」

 神童のあまりの剣幕に押され、慌てて天馬はその花火を宙に放り出した。
 途端、花火は中空で勢いよく火花を噴出してクルクルと回りだし、空へと舞い上がる。五・六メートルは上がったと思ったところで、パンっ! と大き目な火花が散った。

「へぇ~、こんな花火があるんだ!!」

 国産の花火に比べ派手なアクションが売りの中国花火は、すっかり天馬達の気を引いてしまったようだ。独楽のような形の花火に点火して、地面に放つ。それもクルクルと火花をまき散らしながら、軽やかに地面をポンポンポンと跳ね回り、ぱっと鮮やかに火花を散らして終わる。空中で方向転換する花火や、派手さはないが高く上がって、上空で大きく火花を開かせ、パラシュートを落とす仕掛け花火もあった。パラシュートの重心を取る筒の中には、おみくじまで入ってる。

「面白いねぇ、これ!」
「おみくじ、なんて書いてるんだろう? キャプテン! 読んでください!!」

 端っこが少し火花で焦げたおみくじの紙を片手に、神童の所に駆け寄る天馬と信助。文字の形を判別しながら、神童はたどたどしく意訳する。

( えっと、この漢字の形は『仲』だよな? で、これは『愛』かな? こっちは多分『親』だから…… )

 色んな意訳は出来るだろう。
 だけど、神童は ―――――

「……大事な人にであって、仲良くなって、親しくなれる……、かな。すまない、俺にも良く読めないから」

 少し申し訳なさそうに、おみくじの札を天馬に返す。

「それって、良い事ですよね!?」
「ああ、まぁ、そうだな」

 これ以上話を続けているとあらぬことまで口走りそうだと、神童は思った。

「当たってるね、そのおみくじ。それって、今の僕と天馬の事みたいだよ」

 にこにこと、こちらはどこか挑戦的な笑顔を見せる信助であった。


 神童達と離れたところでは、円堂監督指示のもと、盛大なロケット花火の打ち上げ大会が始まっていた。派手好きな霧野とお祭り好きな浜野は当然として、どこか吹っ切れたものがあるのか、進んで倉間も手伝っている。大きな物音が苦手な速水だけが、ヘッドホン越しに耳を両手でしっかり押さえつけていた。

 
   ■ ■ ■


「あらあら、随分と燻されてしまったようですね」

 大量にあった花火を全部使い切り、円堂たちが別荘に戻ったのは、もう十時を過ぎていた。菊乃が用意してくれていた冷たい麦茶が、喉に心地好い。

「はい。浴衣も用意していますから、皆さんで露天風呂にどうぞ」

 と、一人一人浴衣を手渡される。ますますもって、高級旅館の待遇だ。

「あっ、でも俺達、着替え持ってきてますけど」

 律儀なのは神童。ここまで至れり尽くせりだと、流石に申し訳なくなってくる。

「洗濯物が増えてしまいますでしょ? 明日、お帰りになる時に汚れ物を持って帰らなくても済むように致しませんとね」
「菊乃さんが、大変なんじゃないですか? もともと、自炊のつもりの合宿だったので、そのくらいの用意はしてきてますし」

 円堂も、そう言葉をかける。
 円堂の笑顔も人を黙らせるが、菊乃の笑顔もそれに負けていない。

「ほほほ。十数年ぶりのお客様なのですから、どうか菊乃にお世話させて下さいまし。賑やかで楽しくて仕方がないのでございますよ?」

 そう言われては、無下にもできない。

「円堂監督、お世話されましょうよ!! それで、菊乃さんの気持ちが満たされるのなら、それはとっても良い事なんですから!」

 珍しく、どちらかと言えば人に世話をされるよりも、自分から一人で突っ走ってしまいがちな天馬までがそう言う。
 一瞬、何か感じたような気がしたが、ここはもう言葉に甘えた方が良いと判断して、円堂は丁寧に頭を下げた。

「やんちゃばかりでうるさい奴らですけど、今晩一晩なのでよろしくお願いします」
「はいv 承知いたしました」 

 そんな菊乃の声に送られて、円堂を始めとする雷門サッカー部一同は鬼道家の別荘の露天風呂へと向かった。


  ■ ■ ■


「はぁぁ、いい湯だなぁv」

 温泉に入れば、誰もが言うその一言。満点の星空が見事で、山の中、高度があるせいだろう吹く夜風はひんやりとして気持ち良い。長風呂をしても、のぼせることはなさそうだ。

「あ、あの! お背中流してもいいですか!? 円堂監督!!」

 珍しく内気な速水が、顔を赤くして円堂の側に立っている。

「速水?」
「ご、ご迷惑でしたら、断ってられても俺はいいですから……」

 きっと勇気を振り絞ってかけてくれた言葉だろう。ここで、不必要な遠慮は速水の気持ちを傷つける。

「いいのか? ありがたいな。それじゃ、一丁頼む」

 あの誰もを安心させる笑顔を浮かべて円堂は、速水にその背中を預けた。
 ゴシゴシと力を入れて、速水は円堂の背中を流す。

( うわぁ、凄い筋肉の流れだ。こんなに発達した僧帽筋を見たの、初めて )

 円堂の首筋の筋肉を、筋の流れに沿って擦り流す。

「おおっv 気持ちいいな、そこ。最近はデスクワークも増えて、肩こり気味だからなぁ」

 気持ちよさそうな声が、円堂の口から洩れる。

( 監督、気持ちよさそう。よし、もう少し頑張ろv )

 大きな背中は、思わず頼りたくなるほどの信頼感を感じさせる。その背中に、今こうやって触れていることが、恥ずかしくも嬉しく感じている速水である。

「速水、交代だ」
「えっ?」

 キョトンとした顔で速水は、立ち上がった円堂を見上げる。

「ほら、後ろ向いて! 今度は俺が流してやる!!」

 その言葉に、周りの部員からえっ~~~!!! と言う声が上がった。
 羨ましそうな視線に晒されて、全身真っ赤になりながら速水は円堂に背中を流してもらっている。

「う~ん、速水は身長があるんだから、もう少し筋肉を付けた方がいい」
「監督……」
「瞬発力はあるし、部内でも一番の俊足だけど、試合の後半スタミナ切れ起こしてるよな」

 それは監督として、的確な指摘。だが、速水にはそれ以上にマイナスのイメージで伝わった。

「……俺、もともと体育会系って向いてないと思っていたんです。スタミナが無いのもそのせいで……」
「うん? でも、お前自分からサッカー部に入ったんだろ?」
「はい。それはそうですが……。サッカーは好きだし、走るのは苦じゃないんで……」
「サッカーに向いてない奴が、雷門の一軍まで上がれるか。お前はサッカーが好きだし、ちゃんと向いてるんだよ!」

 流していた背中をバチンと円堂が叩く。そこには大きく赤くなった円堂の手形が一つ。

「俺の足が速くなったのって、嫌な事から逃げ出し続けてきたからだって言ったら……」
「きっかけはそうかもしれないけど、お前のその足の速さは、間違いなくお前のものだろう? 今度、何か怖くなって逃げ出したくなったら、お前の後ろには俺が居ることを思い出せ。こうしてちゃんと、守ってやる!」

 そう言うなり円堂は、背中越しに速水の細っこい体を抱きしめた。

「うわぁぁぁっっっ!! 速水先輩、ズルイ! 円堂監督! 俺もギュッとしてください!!」
「僕も、僕も!! 円堂監督!」
「あっ、じゃぁ、俺も混ぜて♪」

 天馬・信助・浜野の三人が、円堂の周りにワラワラと集まる。その様子に円堂は、思いっきり特上の笑顔を浮かべて、その両腕で四人の子ども達をギュウウウっと抱きしめた。

 その後は三人の背中を並べて、ゴシゴシと円堂が背中を流してやる。
 円堂がこの合宿を言い出した時の目標は、半分は達成されたようなものだった。

 言ったものやったもの勝ちな勝ち組四人と、乗り遅れた感のある二人と、やってられないと言う目つきで見ている一人。その一人も、その頑なな気持ちは、本人も知らないうちに解れてきていた。
 一騒動したあと、みんな思い思いに露天風呂につかる。はぁぁ、と言う気の抜けた声がまた上がるのは、もう仕方がない。
 
「気持ちのいいお湯だね、天馬」
「うん♪ なんだか、肌がスベスベになったような気がする」

 そう言いながら天馬がお湯から、自分の腕を出し月の光に照らしてみる。中学生と言っても、まだ一年生。それも決して大柄と言えない天馬の手足は、子ども特有の滑らかな肌をしている。その肌は月の光で、さらに輝いて見える。

「……おい、顔が真っ赤だぞ? 神童」

 聞くともなく聞こえた声に誘われて、つい視線をそちらに送った神童は、神話のアクタイトのように見てはならないものを見た罪人のような表情と思春期の少年らしい反応を、その顔の上に浮かべていた。

「真っ赤なだけじゃなく、何とも言えない顔だな、それ。松風と風呂が一緒なだけで、そんなになってしまうのか?」
「ば、バカっっ!! 霧野が変な事を言うせいだぞっっ!!」

 霧野は、すっと神童の胸に手を当ててみた。
 物凄い勢いで、ドキドキと動悸を打っているのを感じる。

「すっごい動悸だな。もしかして、俺に触られてるせい?」
「そんな訳ないだろう! これは、その……!!」

 幼馴染の反応が面白くて、さらに言葉を続ける霧野。自分の言葉が、神童の心理に影響を与えたのは間違いないようだ。
 その反面、少し寂しくも感じる。そう、今では霧野が裸の胸を神童の背中に押し当てたとて、神童の心臓が早く脈打つこともないのだ。そこに在るのは、長い時間を共有してきた幼馴染への信頼感。

( ……長く側に居すぎて、いつも隣に居るのが当たり前。だからお前はもう、俺の姿を見たくらいじゃ、ときめく事はないだろう? )


 ―――― 幼馴染で親友。
 ―――― 親友は親友。恋人は恋人。


 昼間聞いた信助の言葉が、木霊する。

( そんな事、お前に言われなくても分かってるさ。だから、俺達は変わらなくちゃいけないんだ…… )

 近すぎて、見えなくなったものを見えるようにするために。

( 俺からあいつの側を離れるなんて出来ないから……。そんなことしたら、あいつ泣いちまうからな。あいつを泣かせても良いのは俺だけど、だからといっていつも泣かせたい訳じゃない )

 カシャ。
 カシャ、カシャ、カシャ ――――

 物思いに耽る霧野の方向から、シャッター音が聞こえたような気がした。普段から山菜のストーカー行為を受けている神童が、その物音に気付かない訳はない。

「霧野っっ!!」

 鋭い声が飛ぶ。

「な、なんだ? 神童」
「今、妙な物音がしなかったか!?」
「えっ? いや、気付かなかった……」

 只ならぬ雰囲気の神童と霧野に気付いたのか、すぃ~と天馬が近づいてきた。

「どうしたんですか? キャプテン、霧野先輩」
「ああ、誰か近くいたらしいんだけど……」
「俺達の他に?」

 無言で頷く神童。

「どうしたんだ! 神童!! 天馬!!」

 バシャバシャと派手な水音を立てながら円堂も、側に寄ってくる。

「……カメラのシャッター音が聞こえたような気がして ―――― 」

 その言葉に、一緒に露天風呂に入っていた部員全員が辺りを鋭い視線で見回した。露天風呂の周りには、北風を避けるために大き目の岩を配し、その辺りに五葉の松を何本か植え込んでいる。露天風呂のすぐ近くで身を隠せそうなものと言えば、この岩くらい。後は、少し離れた場所にある目にも涼やかな竹林とか、その竹林から続く紫陽花の植え込みとか。仮にここに人が潜んでいても、盗撮は出来ないようになっている。露天風呂の位置の方が高く、見下ろすようになっているからだ。

 当然、怪しい人影は見当たらない。

「神童、お前山菜にずっとストーカーされてるから、そんな幻聴を聞くんじゃねぇの?」

 と、見下げた物言いは倉間。

「……怖い事言わないでください、キャプテン」

 小さく肩を震わせる速水。

「よし! お前らは、ここで待ってろ! 俺が様子を見てきてやる」

 ザバリと円堂が湯から上がり、ぱぱっと浴衣を着てしまうと、露天風呂の周りをスタスタと回り始めた。しばらくその様子を見守り、円堂から大きなOKサインを貰って、皆一斉に露天風呂から上がった。

「神童、そう言えばお前昼間もそう言っていたな」

 浴衣を着ながら霧野がそう言う。

「ああ……」
「お前、やっぱり山の気か、なんか良くないもんでも感じてるんじゃないのか}

 神童に取っての禁句を、さらっと口にする霧野。
 さっと、青ざめた様子を見てとって、天馬が小さく声をかけた。

「大丈夫ですよ、キャプテン。ここには、そんな悪い気を出すようなものはいませんよ」
「天馬……」
「俺が言うんだから、大丈夫です!」

 トンと着込んだ浴衣の胸を、天馬は叩いて胸を張った。

「ああ、そうだ! 皆寝る前に夏合宿に付き物の、アレやるぞ!」

 楽しさを声に滲ませて霧野が、着替え中や着替え終わった者に声をかける。

「あれって、なんだ?」

 と首を傾げる円堂。

「とーぜん!! 百物語、やります!」

 ひっ! と言う声が神童の喉から絞り出された。

「これこそ、夏の醍醐味ですよね~。皆、取って置きの怖い話、用意してくれよ♪」

 霧野はS。それも、神童に関してはドS。
 それは、周りの部員皆の、共通認識となっていた。



   ■ ■ ■


「ほ、本当にやるのか? 霧野……」

 鬼道家の露天風呂からの帰り道、意気揚々な霧野に対し神童は、後ろから霧野の浴衣の袖を引き、腰も引き気味に小さく声をかけ続けている。

「ああ、もちろん!! 折角の夏合宿だぜ? それもこんな山の中の立派な別荘。辺りには俺たち以外、泊まっているような奴もなし。こんなシチュエーションでやらない訳ないだろっっ!?」

 と、それはもう嬉しくて仕方がないと言わんばかりの態度。

「……キャプテン、よっぽど怖い話が嫌いみたいだ」
「みたいだね。霧野先輩も小学生みたいな子どもっぽいところあるよね。好きな女の子にちょっかいかけすぎて、いじめ過ぎて泣かせてしまうようなところ」
「キャプテンは男だろ? 好きな女の子って言い方はおかしいよ、信助」
「……そっか、天馬にはまだ分からない話だね」

 信助が、やれやれといった仕草で両手を軽くお手上げだと言うような感じで上げ、頸を小さく左右に振る。

「分からないって、何が? ねぇ、教えてよ信助!!」
「そのうち分かるから。分かるまでは、そのままの天馬でいてよ。僕は、そんな天馬が大好きなんだからさ」

 意外と真顔で信助にそう言われ、思わずどきりとする天馬。
 怖さが勝っていて、そんな会話が自分の後ろで繰り広げられていたことに、神童は気付いていなかった。


「ただいま、菊乃さん! 露天風呂、気持ちよかった~っっ!!」

 ぞろぞろと別荘のリビングに集まった雷門サッカー部ご一行に、風呂上がりの一杯と、菊乃は新鮮な牛乳を用意していてくれた。良く冷えた甘味とコクのある牛乳を、皆一斉に腰を手を当て、グビリと一気に飲み干す。

「まぁまぁまぁvvv」

 その見事な景観に、菊乃が面白そうに笑っている。

「やっぱり、風呂上がりの牛乳は格別だな!!」

 子どものような歓声を上げる自分たちの監督を、神童達は『大人』としてでなく、『仲間』と感じ始めていた。

「あっ、すみません菊乃さん。リビングと蝋燭、借りていいですかぁ?」

 飲み終わったコップを集めている菊乃に、霧野はそう言葉をかけた。

「ええ、それは構いませんが、蝋燭は何に?」
「夏の夜って言えば、怪談! これで、決まりでしょ」
「ああ、百物語ですか。蝋燭、百本もあったかしら……」

 頬に手を当てちょっと考え込むような菊乃の様子に、霧野が顔の前で手を横に振りながら、言葉を付け足した。

「俺達そんなに人数いないし、怪談百本も聞かされたら、神童の心臓が持ちそうにないので、二十本くらいあればいいです」
「そのくらいなら、大丈夫。すぐ、持ってきましょうね」

 飲み終わったコップを乗せたトレイを抱えて、菊乃はキッチンの方へ消えて行った。そう待たせないうちに、蝋燭立て代わりの耐熱性のガラス容器と蝋燭をそろえてリビングに再び現れる。

「これでよろしいでしょうか?」
「ばっちりです、菊乃さん。ありがとうございます!」

 霧野はその蝋燭を受け取りながら、Sっ気たっぷりな表情で神童の方に視線を向けた。だんだんとそれっぽい雰囲気になりつつあるリビングから、どうにかして神童は逃げ出そうとしている。

「あ、あの……、俺! 菊乃さんの手伝いをしてくる!!」
「ダ~メっっ!! そんな事言って、部員みんなのコミュニケーションUPを図る大事な会議をすっぽかすのか? キャプテンともあろう者がっっ!!」

 ちっちちと人差し指を立てて、神童に詰め寄る霧野。

「何が、会議だよ!! 百物語だろっっ! 怪談大会じゃないかっっ!!」
「大事な会議だよ。皆が同じテーマで話すんだからさ。今まで知らなかった発見があるかもしれないだろ?」
「霧野っっ!! お前っっ!」

 知らなかった発見……、それは確かにそうだと天馬と信助は思った。
 いや、霧野の以外の二年生部員もそう思ったようだった。

( キャプテンって…… )
( 本当に怖がりなんだね~ )

 言葉にしなくても、瞳と瞳で語り合う天馬と信助。

( ……化身なんて言う、現代の怪異を呼び出す奴がなに言ってるんだか )
( もしかして、神童って俺より怖がりかも? )
( 怪談なんて、夏の風物詩だっちゅーの!! 楽しんでなんぼだっちゅーの♪ )

 な、倉間・速水・浜野の心のつぶやき。

「神童、そんなに嫌なら部屋に戻っていてもいいぞ? 息抜き目的なんだから、そんなに無理強いするのもなぁ。いいだろ? 霧野」

 見かねたのか、助け船を出したのは円堂だ。

「え~、監督。せっかく、盛り上げてやろうと思ったのに」
「いいじゃないか、俺達だけで盛り上がっても。神童が一人で部屋に戻るっていうなら、仕方がないさ」
「円堂監督……」

 ほっとしたような顔で、円堂を見る神童。

「もうお休みになりますか? では、お部屋の方にご案内しましょう」

 そこにまだいた菊乃が、神童にそう声をかけた。

「神童を部屋に送って行ったら、菊乃さんも仲間に入って!! 菊乃さんなら、俺達の知らない怖い話知ってそうだし」
「そうですね。昔は、今の様に冷房などありませんでしたから、暑い夏の夜は、こうやって涼を求めたものです。その頃聞いた、昔話でよろしければ披露いたしましょう」
「菊乃さんも、仲間にはいるのか?」
「ええ。明日の準備も終わりましたし、お邪魔でなければご一緒させていただけると、嬉しゅうございます」

 と、にっこりやんわりと微笑まれる。

「あれ? そうなるとキャプテンだけ、別行動?」
「ミステリーの定番だと、一人きりになった者から被害者になるっちゅーのっっ!!」

 と、だんだん息のあったコンビネーションを見せる天馬と浜野。

「……俺達の寝室って、二階の西側の向かい合わせの部屋ですよね」
「ああ。この別荘すごく広いから、そんな建物の端の誰もいない部屋ばかりの所に一人でいる方が、俺は怖いかもな」

 某妖怪漫画の主人公のような容貌で、ぼそりと呟く倉間。
 その事実に気付き、絶望する神童。

 こうして、見事全員誰一人欠けることなく、百物語は開催されることになったのだ。


   ■ ■ ■


「で、その視線に気付いて音楽室を見回してみると、そこに飾ってあったベートーベンの眼が青く光って睨み付けていたんですよ!!」

 皆が話し始めて、かれこれ一時間ばかり。話し手も、二巡目に入っている。速水が話すよくある学校の怪談ネタを、耳を塞いで聞かないようにしている神童。多分、これからしばらくは、一人で音楽室に入れないかもしれない。

「大丈夫かぁ、神童」

 クスクス笑いを隠しもしない霧野の根性が、神童には一番怖い。

「んじゃ、次俺ね! これはさ、俺の釣り仲間のおっちゃんから聞いた話。その日の釣りは夜釣りで、魚が良く釣れる岩礁ポイントに船頭さんが案内してくれたんだ。いつもなら良く釣れるポイントなのに、なぜかその夜は一匹もかからない。時刻はもう真夜中過ぎて、さすがに今夜はもう釣れないから戻るかとおっちゃんが顔を上げた時、目の前に古ぼけた大きな船が迫っていたんだって! すごく近くまで来ていたのに、誰も気づいてなくて、そのまま突進されたら自分たちが乗っている小さな釣り船じゃ沈没間違いなし!」

 確かに夜の暗い海に投げ出されるのは、どんなに怖い事だろうと聞き手の皆も、それからの展開に耳を傾ける。

「おっちゃんが船頭さんに、早く船を動かすように言ったのに船頭さん、船の舳先に立って、その船を指を一本立ててじっと見てるんだ。すると船頭さん、いきなり船の舳先をその大きな船に向けて全速力を出した」

 両手を握りしめ、熱のこもった浜野の口調に思わず周りは引き込まれる。

「そんなことしたら、正面衝突じゃないかっっ!!」
「ヒィィィィ~~、怖いっっ!!」

 霧野と速水が同時に声をあげた。

「ああ、おっちゃんもそう言ったんだ。そうしたらその船頭さん、怖かったら目を瞑ってろって。すぐ、通り抜けられるからって言ってさ。何のことか分からないまま、目を瞑ったら、すっとなんだか嫌な感じの塊が通り抜けていったんだ」

 誰かが、ゴクリと唾を飲み込んだ音が聞こえた。

「船頭さんのもう大丈夫だって声で目を開けてみると、その大きな船はもうどこにもなくて、ただその釣り船が狭い岩礁と岩礁の間を通り抜けた白い跡が残っているだけ。もし、少しでもその船を避けようと舵をどちらかに切っていたら、確実に岩礁にぶつかって船は沈んでいただろうなって……」
「浜野、その古ぼけた大きな船って……」
「ああ、幽霊船だったんだ。おっちゃん達を海の底に引きずり込もうと……」

 自分も海での夜釣りをするからか、話しながらブルっと身を震わせる。 

「船頭さんの判断のお蔭だな。その船頭さんにはその船が幽霊船だって分かっていたんだな」

 浜野の話を全部聞き終わった円堂が、感想ともつかない船頭への言葉を口にする。

「なんでもさ、幽霊船って奴は、こう指を立ててみると分かるっちゅー話。本物の船なら指の幅で船影が途切れるけど、幽霊船だとそのまま全体が見える。そうしたら、その幽霊船に向かって真っすぐ突き抜れば助かるって」

 幽霊船の話も良く聞く怪談だけど、この話は妙なリアリズムがあって幽霊に脅かされた訳ではないけど、夜の海の暗さと併せ持ってなんとも言えない恐怖心を煽ってくる。

「……夜の海は危険だな。よし! 絶対近づかないぞ!!」

 合宿から帰ったら、フュッシュイング教室に通うと言っていた神童が、目に涙を浮かべながらぎゅっと拳を握りしめていた。

「それじゃ、俺は昼間の海の話を。浜野先輩の話みたいには怖くないと思うんですが……」
「いい! いいっっ!! 怖く無い話の方が、ずっと良い!!」

 もうこれ以上怖い話は聞きたくないと、心からの願いを口にする神童。

「じゃ、話しますね。これは俺がまだ沖縄に居た時に体験した話です。俺も海で遊ぶのが好きで、夏になれば良く近くの海岸で海に潜って貝を獲ったり魚を突いたりしていたんです。その時、俺が潜っていた海は引き潮で遠浅の浜だったんですけど……」

 と、天馬が珍しく沖縄時代の話をしだした。

「水深も浅いから、ついつい沖の方まで出ちゃって、そろそろ戻らなきゃって思った時に、俺の目の前の海底にそれは大きな船が沈んでいるのに気付いて、びっくりしたんです」
「沈んだ大きな船? それは漁礁として沈められた廃船なんじゃ……?」
「分かった! 天馬、そこで大きなタコにでも捕まりそうになったとかじゃないの?」

 信助が面白そうにはやし立てた。いやいや、幽霊やオバケじゃないにして、それはそれで十分コワイ話だ。

「俺もそう思って、海底に足をつけて海面に頭を出して辺りを見渡してみたんです。でも、海面上には、そんな船の影はどこにもなくて……」
「ん? それってどう言う事なんだ?」

 状況がよく掴めなかった霧野が、天馬に言葉をかけた。

「ええ、俺もよく分らなくてもう一回、頭を海中に入れて少し先の海底を見てみると、ちゃんとその船はあって……」

 そこで天馬は、一度言葉を切った。

「……最初は気付かなかったんですけど、船の窓に俺くらいの年齢の子どもがたくさん見えて、みんな悲しそうな目で俺を見ていて ―――― 」

 ふっと、いくつかのガラス容器の中の蝋燭が消えた。

「びっくりして、思わず頭を海面から上げてまた周りを見回したけど、やっぱり船の姿なんてなくて……。三回目に海底を覗いた時には、海底で見た船の姿はなくなっていました」

 じじじっと、蝋燭の燃える音。

「つまり、今より小さかった天馬の足が届くような浅瀬に、そんな大きな船が沈んでいれば、海上からでも見えるはずのものが海底でしか見えなかった、ということなんだな?」

 要点をまとめて、円堂がそう尋ねる。

「はい、その通りです。俺も怖いと言うより不思議な感じで、むしろ何故か悲しい気持ちでいっぱいになって……」

 ゆっくりと菊乃が、口を開いた。

「……それは、戦時中の学童船かもしれませんね。そんな儚い姿になってまでも、懐かしい故郷に帰って来たかったのでしょう」

 菊乃はそう言いながら、南無と唱えて両手を合わせた。
 しん、と辺りが静かになる。

「おい、どうする? 霧野。まだ続けるのか?」

 次の語り手である、倉間が霧野にそう聞いている。

「ん、ああ、そうだな。ここで終わらせてもいいし、お前を含めて後三人だからきちんと終わらせてもいい。皆、どうする?」
「そんな事聞かなくてもいい!! もう、ここで終わろう!!」

 怖さだけでなく悲しさからも、神童の眼は真っ赤になっている。
 それを見て、ふっとシニカルな笑みを浮かべたのは倉間だった。

「そうだな。どうせなら最後の円堂監督の話まで聞きたいし。まぁ、松風の話は別にして、その他の又聞きみたいな生ぬるい話じゃなく、俺が本当の怖い話をしてやる」

 片目眇めににやりと神童の方を向いて笑う。
 ひっと、神童が息を飲む音が聞こえた。

「……最初は五歳くらいの小さな男の子。狭い段ボール箱に閉じ込めて、ガムテープでぐるぐる巻きにして人目につかない路地奥に放置して窒息死。次は美少女と近所で評判の女子中学生。大人になって男を騙さないようにと、その顔を切り刻んで惨殺。三人目は元気な小学生。明るく元気な笑顔が気に入らないから、八階の非常階段から突き落とした。四人目は大人し目な男子中学生。許してくれと泣いて頼む顔が面白いと、殴り殺された」

 淡々と話し続ける倉間の、その表情こそがどこかうそ寒く怖く感じる。

「おい、倉間……」

 異常を感じて霧野が小さく声をかける。
 しかし、その声を無視して、さらに倉間は言葉を続けた。

「子どもや老人、弱い奴や自分の気に入らない奴に生きる価値は無いと、目の前を歩いていた老人を車でひき殺す」
「止めろ! 倉間!! お前は、一体何の話をしてるんだっっ!?」

 神童がキャプテンとしての責務からか、それとも『人』としての意識からか、倉間の話を中断させる。

「なぁ、怖いだろ? そんな殺人鬼が警察の眼を逃れて、俺達の周りをうろついているとしたら」
「倉間……」
「あっ、それって噂の殺人鬼の話じゃ……」

 ぽそっと、速水が言葉をはさんだ。

「噂じゃない。本当の話だ。お前らちゃんとニュース見てるのか?」

 そう倉間に言われて、見てはいても聞いてはいても今の倉間の話程、身近に感じてはいなかったなと、気付かされる。

「……幽霊船や死んだ人よりは、生きてる人間の方が怖いって話」

 さらに、その場がしんと静まり返る。

「さ、俺も話したんだから、あとは菊乃ばあちゃんと監督の話で締めくくろうぜ。この別荘古いし、庭には蓋をした古井戸もあるみたいだし、何か怖い話の一つや二つあるんじゃないの? なぁ、菊乃ばあちゃん?」

 倉間の怖がらせ方は、並みじゃない。あんな話をした後で、この別荘にまつわる怖い話を聞き出そうなんて、せっかくキャプテンとしての意地を見せかけた神童が、白目を剥きそうになっている。

「ほほほ。残念なのですが、今までこの別荘でそんな怪異が起こった事はないのでございますよ。あの古井戸も使わなくなったので、危なくないようにと蓋をしただけでございますし」

 優しい語り口の菊乃の言葉に、ほっと息をつき神童の瞳に色が戻って来る。

「でも、そうでございますね。では、わたくしも『生きている人間の方が怖い』という話を致しましょうか」

 なぜか、すっと蝋燭の明かりが暗くなったような感じがし、不安な気持ちにさせる生ぬるい風がその場を吹き抜けた。

「……これは、それは恐ろしい箱の話でございます。その箱を手にしたものは、みなその夜のうちに内臓が千切れ、悶え苦しんで死んでしまうという呪いの箱の話です」
「ああ、あるある! そーゆー箱の話。代々続いているような旧家の倉なんかにそっとしまわれているような古ぼけた箱でさ、触ると祟りで死んでしまうっちゅーの!!」

 場違いな軽い調子で、浜野が先取りをする。
 もしかしたら、浜野も相当怖くなっていたのかもしれない。

「ええ、これもそう言う『祟り箱』の一つ。では、この箱がどうして、そんな風に祟るようになったか、ご存知ですか?」
「え、いや……。その箱の持ち主が、酷い状態で殺されたとか……?」

 ほぅ、と小さく息を吐いて菊乃は言葉を続けた。

「……昔、それは酷い迫害を受けていた人々がおりました。貧しい土地に追いやられ、学ぶ自由も働く自由もない、生きてゆくことも出来ないほど搾取され続ける人々。本当に何も持たない人々でしたが、それでも今の暮らしを変えたいと言う血を吐くような願いは常に胸に抱いておりました」
「………………」
「一揆を起こそうにも、相手は武器も人手も十分すぎるほど。下手をすれば皆殺しにされてしまうかもしれません。そんな時、都からの落ち人が彼らに、『武器』を授けたのです」
「菊乃さん……?」
「それが、この『箱』の作り方でした。『箱』の中に込めたのは、生まれたばかりの赤ん坊から十歳までの子どもの怨念。殺す子どもの数が多いほど、『箱』の威力は増すのです。貧しく食べるものもない彼らは必要に迫られて、時には闇に紛れて生まれたばかりの赤子を間引く事もありました。だけど、この武器を手に入れるために彼らは、どの子を殺すか相談し、実行したのでした」

 親が実の子を殺す相談をする。
 それは、どれほど恐ろしい光景だろう。

「そうして作られた『箱』は、自分たちを迫害していた大庄屋の元に届けられました。この『箱』は、男には祟りません。祟るのは、血筋を次に伝える子ども達と、そんな子どもが産める女達。外観は、それは良くできた工芸品のように見える箱。彼らはその『箱』を献上品として、大庄屋に献上しました。それを受け取った大庄屋の屋敷では庄屋の妻、跡取りの嫁、孫だけでなく、その屋敷の使用人だった若い女や子どもまで、一晩のうちに悶え死んだのです」

 菊乃が語るその話は、決して歴史の教科書には載る事はない闇の歴史。

「彼らは、その『箱』の威力を見せ付けた後、こう迫害者たちに言いました。もう、自分たちを放って置いてほしい。ならば、この『箱』は、自分たちが引き取って帰る、と。言い分を聞かねば、この『箱』はまだ十余りもある。近在一帯にばらまくぞ、と」

 誰かが、ゴクリと唾を飲んだ。嫌な汗とともに、肌を鳥肌立たせている者もいる。

「密約は成り立ち、彼らは貧しいながらも自由を手に入れました。しかし、その『箱』が祟るのは、決して迫害者の関係者だけではなかったのです」
「えっっ!!!」

 そんな声が、あちらこちらから上がった。

「……そりゃ、そうだろ。そんな『箱』の材料にされる為に、家族が寄ってたかって相談してお前はいらないから、みたいな感じで家族に殺されたらさ、俺ならその家族にも祟るね」

 倉間が片目で、ギラリとにらみながら言い捨てた。

「まことに、その通り。祟りを抑えて管理する方法も知っていた彼らが、手元に集めた『箱』は十余り。それぞれ殺した子どもの数で、祟りの威力は異なります。早く祟りが薄くなるものもあれば、百年以上祟り続けるものもある。彼らは考え、そして『箱』を分散させました。隣組を作って一つの『箱』を回り持ちで管理させる。『箱』の存在は、その家の当主だけが知るところで、時期を見て跡取りに伝え、管理していた当主が亡くなれば、次の当番の家の当主に亡くなった家の跡取りが『箱』を届ける」

 人を呪わば、穴二つとはこの事だ。

「『箱』の管理法は薄暗く湿った土のある納戸の中で、人目につかないよう安置し、年に一回封印の為の御札を張り替えて、祟りが薄くなるまでそれを繰り返す。ある程度まで薄まれば、お札をいただく社に持ち込み、浄化してもらう。その間、決してその納戸には自分以外の者を近づけないようにして」
「……息が詰まりそうだ。自分が預かっている間は、死ぬまで気が休まらなくなるんだな。もし、その間に他の家の者が居なくなったら、ずっとその『箱』を抱え続けなくてはいけない」

 珍しく、重々しく円堂がそう言葉を紡いだ。

「はい、その為の隣組。その重く暗い責任から逃げ出すものを出さないためのものでありました」

 さらに、ずんと重たい空気が皆の上に圧し掛かる。

「……菊乃さん。その『箱』、今もまだ残っているんですか?」

 そう尋ねたのは天馬だ。

「ええ、まだ二つ・三つは。一番祟りの強い『箱』は、子どもを七人殺して作った『箱』だそうです」

 まだその『箱』が残っていると聞いて、神童が全身真っ白になっていた。

「箱、かぁ。そう言えば俺が昔、怖い目にあったのも、箱だったな」

 いよいよ真打登場かっっ!?
 円堂が、ぽつりと話しだした。

「キャプテン、キャプテン!! 大丈夫ですか?」

 石化していた神童を、肩をゆすって介抱する天馬。
 これは、この状態で介抱してやるのは親切なのか、はたまた……。

「て、てんま~~! 俺、もう嫌だっっ!!」
「大丈夫ですよ。円堂監督の話で終わりですから。それに、ここにはそんな悪いモノはいません!! 俺が断言します!」
「天馬……」

 蝋燭の明かりでも、天馬の笑顔は太陽のようだと神童は思った。自分らの監督である円堂守も、チームメイト達からはそう思われていたのだったのだなと思いだしていた。

「え~、円堂監督でも怖いものってあるんですかぁー」

 と、明らかに馬鹿にしたような声を上げているのは霧野だ。

「そ、そうですよ。俺が聞いた所じゃ、宇宙人から天使に悪魔に神さまに、はては鬼のような未来人とまでやりあった監督じゃないですか!!」

 どこで仕入れた情報なのか、速水がそう食いついてきた。

「あっ、分かった! ほら、アレだ!! 饅頭怖い、ここらでお茶を一杯、なノリなんじゃね?」
「あ~、なるほど!! 好きすぎて、怖いってあるもんね! それで言ったら僕は、天馬がコワイ♪」

 と、可愛らしくウインクしてくる信助。
 皆、この雰囲気を変えようと必死だ。

「ああ、大丈夫だ。俺の怖いは、今まで聞いたような怖いとちょっと違うから」

 語り手たる円堂からして、そのことを思い出したのか苦笑いを浮かべている。

「まっ、良くある話だし、夏だしな。お前たちも、こーならないようにと言う意味をを込めて話すぞ」

 ずいっと身を乗り出すように話し出した円堂の雰囲気は、今までのそれと異なって、確かに怪異譚を話すと言う感じはなかった。円堂が身を乗り出したため、皆もつられて中央に頭を寄せる。まるで、今から腕白坊主の作戦会議のようだ。

「俺がまだ、お前らと同じ年だった時の話だ。丁度季節も今頃、夏の大会が始まってまもない頃だった。その日、俺は一人部室に残って部誌をつけていたんだ。部室に入る西日が暑っ苦しくて、汗をダラダラ流しながら。すると何か物音がするんだ。そう、カタン、カタンって」

 ゆらぁ、と蝋燭の炎が揺れた。

「風は無かったし、よくよく耳を澄ませば、その音は普段使われていないロッカーの中から聞こえてくる。そのままにしておくのは俺の気持ちが納まらない。そっとそのロッカーを開くと、物入れ代わりに使われているロッカーのガラクタの上、丁度俺の顔の位置と同じくらいの高さに「ソレ」はあった」

 円堂の顔が、真剣味を増してきゅっと引き締まる。

「A4サイズくらいの薄い箱。その箱の蓋が持ち上がりかけてカタンカタンいっていたんだ。で、その隙間から覗くモノと俺は目が合ってしまった!」

 いきなり円堂の体が後方に引いた!!

「そいつは羽音を立てて、おれの顔目掛けて飛びかかって来たんだ。それも一匹だけじゃなく、ワラワラワラと何匹もっっ!! いや~、あの時ほど殺虫剤の煽り文句が本当だって実感した事はなかった。一匹いたら三十匹って!!」

 その情景を、思い浮かべる。
 赤い光の夏の夕暮れ、薄暗い部室、差し込む夕日。
 そこに一人立つキャプテンの顔に、無数のアイツが飛びかかろうと ――――

「ぎゃぁぁぁぁ~~~~!!!」
「やめろ~~~! そいつが一番怖い!!」
「嫌だ、嫌だ、嫌だっっっ!!!」

 浜野・倉間・速水が悲鳴を上げる。一匹出ても思わずビクるのに、それが大群で空を飛んでなんて、どんな地獄だ。アイツを見たときに感じる恐怖感は、人間の魂に刻まれた捕食生物に対する恐怖だと言う人もいる。三億年前から変わらぬ姿を保っているアイツに、まだ誕生してまもなかった人類の先祖はどれだけ食い殺されてきた事だろうか。 
 そして、タイミングよくと言うか、なんというか頭を突き合わせている皆の目の前に、カサカサカサっと ――――

「うわぁぁぁっっ!!!」
「でたでたでた~~~~」
「ЁДИ””””~、шяф△ッ〇◆~~~З¶!!!!」

 最後の方は、もう言葉にすらなっていない。

「誰かが食い残していた、菓子をそのロッカーに突っ込んでいたみたいなんだ。それで、ロッカーの中で繁殖してさ、その後バルサン焚いたら、部室の床が真っ黒になってしまった。だから、お前たちも気を付けろよv」

 にぱっと明るく言いながら、円堂は目の前の獲物をバシュと鉄槌の風圧で圧殺する。

「「「ひぃぃぃぃぃ~~~~!!!!」」」

 神童は天馬の腕の中で、魂が抜けていた。
 深窓の坊ちゃん育ちには、かなりダメージの強い話だったのだろう。

 百物語、話一つで蝋燭を一本吹き消してゆく。
 最後の蝋燭が消えた時、本物の幽霊が現れると伝えられている。

 確かに出た、本物が。
 地上最強の生き物であろうと言われている、アイツ。
 カサッ、と言う音に、一夏中神経質になった雷門イレブンであった。



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Date:2012/03/16
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